「そうでないと言うならマルクス理論であろうと現実によってうまくいかないなら、変更もありうると認めるべきではないでしょうか?」
当然認めます。
「マルクスの理論とそれに基づいた政治実践が20世紀にもたらした惨劇について説明願います。」
問題はここです。本当に20世紀の政治実践はマルクスの理論に基づいていたのか、ということです。私は、マルクス主義の歪曲に基づいていた、と理解しています。この歪曲の責任の一端は、もちろんレーニンにありますが、これはある程度仕方のないことです。当時のロシアにあっては、現在の私たちほど全面的にマルクス・エンゲルスの著作を入手することもできませんでした(例えば、『ドイツ・イデオロギー』や『自然の弁証法』はレーニンの死後刊行されました)し、何よりも実際に革命を指導しなければならなかったわけです。マルクス・エンゲルスのように膨大な時間をかけて古典派経済学やヘーゲルを研究することはできませんでしたし、分業と協力ができるような、自分と同じくらいの能力を持つ、パートナーはいなかったのですから。
毛沢東の文化大革命については、矛盾論の歪曲がその思想的・イデオロギー的原因となっていたことは、確認していますが、スターリンの粛正についても同じようなことがいえるかもしれません。また、ある程度のことまでだったら、少し調べれば分かると思います。それ以外のものについては、全然具体的には検討していないので一般的なことしかいえませんが、マルクスの理論はソ連や中国で歪曲されたのに、その他では正しく受け継がれた、ということは、当時のソ連や中国の影響力から考えても、あり得ないのではないか、と予想しています。もちろん、今後具体的に検討するつもりです。また、どのように歪曲されたかを明らかにすることが、私がここに投稿している主な目的ですので、今後この場で徐々に展開できれば、と考えています。
ここでは社会革命や国家について少しふれておきます。
「階級をなくすことは社会革命であり、国家が死滅することも社会革命ではないのか?」
階級をなくすことは社会革命を目指す過程でなされることであり、プロ独を中心とするあらゆる国家的権力(政治的=イデオロギー的権力)が、ある分野から別の分野へと次々に不必要になり死滅してしまって、初めて社会革命ということができます。階級さえなくなれば、万事解決、というわけではないのです。
エンゲルスの文章については、文章として簡単に書かれてあっても、実際にその過程が簡単に経過する、ということにはなりません。『空想から科学へ』では、その著作の性格などに規定されて、エンゲルスの認識が全部表現されているのではなくて、具体的な過程については捨象されている、つまり止揚されているのですから、エンゲルスの認識を受け取るには、他の著作や論文も読まなければなりません。しかも、ここで私が問題としたのは、「同時か否か」であって、階級がなくなってから国家が死滅するまでどのくらいの時間がかかるか、ではありません。
「いずれにしてもこの前後の話は、階級がなくなると同時に、国家も消滅するというマルクスの説を証明するものでなく、むしろ階級がなくなった後にも国家組織を温存し、教育によって国家なしの状態でも問題ないような状態を作る可能性について書いているので、マルクス説の否定につながる議論を自らおこなっているのではないでしょうか?」
このような主張に対して、「同時とは言っていない」と反論しただけです。私なんかが、過渡期の時間がどれくらいか、具体的に提示できれば苦労はしません。
どうも議論がかみ合っていないのは、私が歪曲されたマルクス像を訂正しようとしているのに対して、マルクスの理論といっても現実との対決で証明されなければならないという、それ自体としては当然ではあるけれども、私の主張とは別次元の問題をも提示されているからではないでしょうか。マルクスの理論が正しいかどうかを検討する前に、その前提であるけれどもそれとは相対的に独立している問題として、今一般化され俗流化しているマルクス像は果たして本物か、こういう問題を議論したいし、今の私にはこういう問題しか議論できない、といえるかもしれません。自分の学び方を強調したのが失敗でした。
「このエンゲルス説をもとに、レーニンは、「国家は階級支配のための道具である」と規定した。この規定は狭すぎるのではないかというのが、私ではなくマルクス研究者の中からも疑念が出されてきたことを正当派、官製マルクス主義の公式見解から学ばれているJ.D.氏にも理解していただきたい。」
レーニンの規定だけをいくら眺めてみても、その意味するところ、すなわち表現の背後に隠された内容、を理解することはできません。それから、私は正当派(正しいという意味で)ではあるけれども官製(共産党指導部に認められているという意味で)ではないマルクス主義から学んでいるということを、琵琶湖太郎さんにも理解していただきたいと思います。そのための材料がまだ不足している、という面もあるのでしょうが。