「お二人の田口、平田氏の評価をめぐる討論を読んでいても私(達?)には良く分かりません。お互いに具体的なことを書いていないからです。」
別のところに、一例を挙げて、具体的に論じておきました。よかったら読んでください。
「またその議論が『科学的社会主義』の中身の議論とどう結びつくのでしょうか?」
正しいマルクス主義と歪曲されたマルクス主義を区別しようとしているのです。
「そこでJ.D.氏にお聞きしたいのですが。あなたが、マルクス、エンゲルス、レーニン、宮本氏、不破氏の5人に評価順位をつければどうなりますか?」
評価順位といっても、基準にするものによって変わるかもしれませんが、学者としての実力で判断すると、以下のようになります。
エンゲルス>マルクス>>レーニン>>>>>>宮本氏・不破氏
もちろん、今まで私が学んだ範囲内での判断です(当たり前ですね)。宮本氏と不破氏の差はよく分かりません。言葉だけを見ると宮本氏の方が上の気がしますが、はっきり言って他の三人と比べると、「ドングリの背比べ」です。それと、レーニンは革命の指導者としては、かなりの実力者だと思います。ただ、マルクス・エンゲルスのようにおなじくらいの実力を持った人物が身近にいなかったこともあって、学者としてはいまいちだと思います。実践では正しい行動をとりながら、特に体系的な著作ではぼろが出る、ということになっています。
エンゲルスの方をマルクスより上にしたのは、晩年の著作を評価してのものです。ヘーゲルに近づこうという努力が見られましたから。もっとも、遅すぎましたが。
「あなたは、党員ですから当然不破氏ですよね。」
??? ちょっと意味が分からないのですが。党員だから、当然不破氏を一番評価しているんですよね、という意味ですか? もしそういう意味なら、「否」と答えておきます。琵琶湖太郎さんには直接言ってなかったかもしれませんが、私が党に入ったのは、マルクス・エンゲルスに惹かれたからです。日本共産党自体の路線などは、後になってから知り、絶望しました。それでもやめなかったのは、この党を変えるためです。最終的には、共産主義社会を実現するためです。
「例えば不破氏が4人を批判すれば認められますか?」
もちろん、無条件に判断することはできませんが、だいたい認めないでしょうね。あっ、宮本氏への批判ならば、それこそ批判の内容次第ですが。他の三人への批判ならば(といっても、レーニン以外を批判するとは思えませんが)、おそらく的外れなものでしょう。現に、今行なっているレーニン批判などは、学問的には何とも低レベルで、読む気もしないほどです。あれでは、今の党の路線に都合のよいところを、その読書量にものをいわせて引用しているだけです。あれでは、趣味を公開しているだけです。
「それからエンゲルスが階級がなくなった後も国家が存続し続けると書いた文章があれば投稿を御願いします。」
前回、琵琶湖太郎さんが引用してくださった『空想から科学へ』の部分がそれです。念のために繰り返しておくと、抑圧すべき社会階級がなくなると、「国家権力が社会関係に対して行ってきた干渉は、一領域から他領域へと無用の長物となり、ついには順々に眠りにつく。」のです。「一領域から他領域へと」という表現や「ついには」という表現は、階級がなくなった後もしばらくは存続し続ける国家権力の存在を、論理的に認めています。私が以前、「以上は空想から科学へという、一般的には入門書といわれている著作の中にも、論理的には説かれている内容です」と、「論理的には」と断ったのは、以上の内容を踏まえてのことです。
なお、もう少し付け加えておくと、一国で社会主義革命が成功しても、それでいわゆる国家がなくなるわけではありません。対外的には依然として、国家として振る舞わざるを得ないわけですから。このあたりの問題(世界革命の問題)の解決は、マルクスもレーニンも、後の世代に託したようです。