後氏は、あなた方の言うようには、党中央の改革路線を「まともな政治路線」とは主張してないし(「異論の公開」がない点などを指摘済み)、「党内民主主義を抑える必要」を「いいこと」であるなどとはしていないので、その辺の事実認識をめぐる記述のいちいちに反論はしません。問題は、民主主義をめぐるあなた方の認識そのものにあります。
党中央の路線転換への指向。それに対する反対の根拠が、あなた方によれば「党内の意見を聞いてないから」という唯一その一点に絞られている訳ですが、では「党内の意見を聞けば」民主集中制も前衛理論や階級闘争の理論も堅持され、より強大な党になって、日本革命に勝利するとでも言われるのでしょうか? あなた方の言う「右派」は、旧来の教条的イデオロギーに固執する姿勢を転換し、現実に根ざした社会の改革を求め、そのために民主主義の理念とシステムを選択するのでなければならない、と考えます。その遂行主体が「党」であるとしても、民主主義には党内も党外もありません。党内民主主義を要求する側が民主主義を理解できず、既に破綻した19世紀のイデオロギーにしがみついている現状では、そもそも党内民主主義など実現できようはずもありません。民主主義を方便としてしか考えていないのは「右派」ではなく、あなた方「左派」のほうです。あなた方の主張する「党内民主主義要求」は、ただ反中央の方便でしかないように思われます。要するに、自分たちの意見を聞け!とゴネているだけなのではないでしょうか? もし、あなた方の党が、党員すべての意見を集約した結果として、現実的な改革路線を選択した場合はいったいどうするんですか?
より深い問題の所在は、理論と実践、タテマエとホンネの分裂をどうするのか、というところにあります。すべてが完璧で完全な平和と平等の実現する共産主義社会。それを実現するための革命運動への参加。しかし、現実にやっているのは選挙運動ぐらいという、この事実を認めるのかどうか。
理想社会を夢見るのは宗教でも同じことで、問題はそのことと現実の実践活動との間に整合性があるのかどうかです。すでに1世紀前、ドイツではベルンシュタインが旧来の革命運動のそうした矛盾点を突き、より現実的な改革の方向性(理念と実践との合致)を提示しました。彼の提起した主張そのものは社会民主党全体の路線としては排除されましたが、その後の歴史では実質上受け入れられ、今日のヨーロッパにおける新しい社会民主主義の路線となりました。
もはや、結論は出ています。21世紀になってまで、19世紀の革命と共産主義の夢を追うのは人生の無駄だとは思われませんか? 一種の「宗教家」の人生としてはいいのかもしれませんが・・・。小選挙区制をめぐる問題についてはまた次回。