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「科学的社会主義」討論欄

民主主義左派の形成について・・・カワセンさんへ

2001/1/13 羽派、40代、勤労市民

 カワセンさん、始めまして。「羽派」と申します。このHNは皮肉と自虐「私」観によるもので、ラジカルな民主主義を標榜しています。日本共産党内に民主主義派を形成するといった「干渉」は全くするつもりありませんが、国内政治における「民主主義左派」あるいはラジカルな民主主義派の形成は、私も心待ちにします。政治勢力として形成される必要を感じます。日本の現実から、急務だろうと思います。昨年のいくつかの選挙をみると「客観的条件」さえそろっているようで、確固とした政治主体としての民主主義左派の登場は本当に待たれるところでしょう。社民党では少し不安です。といっても、何をどうする、という見通しもつきませんし、大変そうだな~と、「日和って」しまいます。どうお考えですか? 人を当てにせず、自分で何か始める決心は、殊に政治では並大抵のものではないですね。その意味では、やはり共産党も「さざ波」も、立派であります。
 さし当たって可能なのは、理念を語ることでしょうか? 「批判」から脱して、「地域経済分科会」さんのように「提言」としてまとめられれば、この掲示板の趣旨からもはずれず、ヴァーチャルな言説空間における主体形成に寄与するかもしれません。絶望されることはないと思います。場合によっては相当な「言説・イデオロギー上の解毒」も必要でしょうが。
 ところでカワセンさんの御議論のなかでちょっと気になるところがあります。いくらか挑発的な御議論がおありになるのではないでしょうか? たとえば、「(さざ波の)議論の仕方がその出発点においてねじれている」のは、否定できないと私も思います。しかし、「代議制民主主義そのものを否定する「プロレタリアート独裁」路線を容認」というのは、(その懸念があることには同意しますが)明示的な証拠に基づいて論証できることでしょうか。「・・・革命幻想を抱き法の支配に反抗する・・・」というのも、少し言葉が過ぎるのではないでしょうか? また、「「社会主義派」が民主主義の破壊者だと明らかになった」というのは、用語「社会主義」の誤用にならないでしょうか。
 私たちは、民主主義者を自称したいのだと思います。ならば、言説においても民主主義的な態度を取りたいのです。機械的な言説、論理の飛躍や切断、決め付け、曖昧化によるごまかし等が、現実の政治言説として用いられどれほど悪行を働いてきたか、これも20世紀の経験、私たちにとってもごく身近な経験だったのはないでしょうか。私たち自身がその幣を犯すのは避けたいものです。とはいえ、どんなに慎重にしても、私自身もこの種の態度を取ってしまうことはあります。最大限気をつけたいですね。
 議会制度・選挙制度の問題など議論したいことはたくさんありますが、まずはこの辺で。