2001年2月4日(日)「しんぶん赤旗」では、1月に開かれた中央党学校での不破議長の二つの講演(科学的社会主義と日本共産党綱領)を報告しています。
不破議長は、天皇制があっても改革は可能、日本は帝国主義とは言えないetcガックリくるような主張を相変わらずしていますが、びっくりしたのは市場経済に話が展開した時のやり取り。
「市場経済に関する古典は?」という(会場からの--引用者)質問には「あまりないんです」というのが(不破議長の――引用者)答え。
(中略)
こうしたことを説明した不破さんは、「市場経済の効用論を真正面から取り上げた古典はありません。先輩たちは、私たち後代のものに、おもしろい研究課題を残してくれました。未来社会論として研究する値打ちのある分野がたくさんあります」とのべました。
本当に「あんまりないんです」と言っているのか、それともわざと知らないフリをしているのか。『経済』の連載では、レーニンが市場を人為的になくして、『戦時共産主義』という誤った路線をとった、誤りに気が付きネップ政策をとったが、その後の展開を見る前に死んだので理論的に深められていないなどと、全然重要ではない個所に重点を置いているという感じで連載が「人民戦線万歳」で終わりそうになって来ていますが(無原則連立政権の幻想に引っ張られているのか)、党学校で「あんまりないんです」なんて無責任発言をしていては、ほんとうに空いた口が裂けてしまいますヨ・・・。
もし、市場経済に関する古典を本当に知らないのであれば、『経済』での連載や党学校での講演の、なんと軽薄なことか。もし、わざと知らないフリをしているのであれば、なんとスターリンなことか。
市場経済、とくにマルクス主義的な観点から見た市場経済について、実践的に語られたものとして、まずあげられて良いものは、トロツキーの『社会主義と市場経済』(大村書店)に収録されている「ソヴィエトロシアの新経済政策と世界革命の展望」です。これはコミンテルン第4回大会のメイン報告の一つです。また、トロツキーの『社会主義へか資本主義へか』(大村書店)では過渡期経済における世界市場との結びつきを論じたもので、不破議長がことあるごとに持ち出す中国の「社会主義市場経済」やベトナムの「ドイモイ」をどう見るのかについて、一つの指標となるものです。
名著『裏切られた革命』(岩波書店)をはじめ、1920年代後半以降のトロツキーの著作には、スターリンによる極左冒険主義的経済建設への批判という形で過渡期におけるあるべき施策を語っています。最近出版された『トロツキー著作集1932年 下 16巻』(つげ書房新社)に収録されている「危機に立つソヴィエト経済」という論文は、スターリンの経済政策を全面的に批判しています。
真面目で誠実なマルクス主義者であれば、これら一連の著作を手にしていてもおかしくはありません。私はこれらの主張にほぼ全面的に賛同するものですが、もちろんトロツキーをはじめとした当時の左翼反対派や後の第四インターナショナルの理論や指摘に賛同しない人たちもたくさんいますが、それでも「あんまりないんです」としらを切るようなことはしません。
ますます世界化する市場経済のなかで、一国で社会主義を建設できるなんて本当に考えているのでしょうか? 中国だって、ベトナムだって、いまの「市場経済」はぜんぜん一国主義ではないです。それに資本主義的経済がどんどん歯止めなく(「民主主義」についてだけは歯止めがありますね)社会主義的下部構造とイデオロギーを侵食しています。理論的歯止めのない無原則な市場経済(階級闘争を放棄して市場経済を導入するということですな)の結果です。
トロツキーの一連の著作は、これら現在の問題にも鋭い視点を投げかけています。まさに「過渡期における市場経済のマルクス主義の古典」なのです。
党学校で、自らの無知をさらけ出す、あるいは「くさいものにはふた」をするような講演を許している場合ではないですよね。「資本主義の枠内での改革」なんて言ってずに、社会主義の、そして民主主義の枠内での党改革が急務なんではないですか?