「科学的社会主義」の投稿欄に「非科学的」な投稿が掲載されていたので、日曜日の夕食後の座興として批判をしておく。
雁子氏の投稿は、岩波『共産党宣言』を誤訳として批判し、英語版の『共産党宣言』に依拠して、「第1項 原点0:コミュニストは「党」を必要とするか? 結論は、必要としない。」と述べている。岩波の『共産党宣言』の訳は、ベストとはいえないかもしれないが、別段誤訳とはいえない。
国民文庫版では、同じ部分について「共産主義者は、プロレタリア全体に対してどういう関係にあるか?共産主義者は、他の労働者政党に対立する特殊な政党ではない」となっている。
①原文のドイツ語版ではどうなっているのだろうか(『共産党宣言』の初版本はドイツ語である)。以下、原文である(ウムラウト表示ができないので、( )にいれた文字をウムラウト付きと読んで欲しい)。
In welchem Verh(a)ltnis stehen die Kommunisten zu den Proletariern (u)berhaupt?
Die Kommunisten sind keine besondere Partei gegen(u)ber den anderen Arberiterpaeteien.
というわけで、英語版の「コミュニストは、他の労働者階級の諸党に対抗して別途の党を形成しない。」という文章とは、日本語に訳す限り、かなりイメージが異なるが、ドイツ語の原文を翻訳すれば、「共産主義者はプロレタリア一般に対してどんな関係に立っているか? 共産主義者は、他の労働者党にくらべて、特殊な党ではない」という岩波訳は別段誤訳でもなんでもない。
ただ、gegen(u)berは、「対立する」と訳す方が鮮明だろう。besonderは、ヘーゲル論理学でいうカテゴリーの「普遍」「個別」とならぶ「特殊」の意であり、この訳も問題ない。日本語で読んでもドイツ語の原文を想像できる訳になっていると言ってよい。
②というわけで、雁子氏の主張はまず、第一歩で崩れてしまった。
しかし、訳文の意味はどういうことか、と言う問題が残っているので、簡単に触れておきたい。『宣言』の第4章を見ると、冒頭に「既成の労働者政党にたいする共産主義者の関係、したがってイギリスのチャーチストや北アメリカの農業改革論者に対する関係は、第2章によっておのずから明らかである」(国民文庫版)とある。
つまり、プロレタリアートの「国際組織」としての「共産主義者同盟」(Bund)と、各国の労働者政党との関係を述べているのである。
第4章のその後の文章は、各国の労働者政党に対し、共産主義者同盟がどういう連帯を行っているのかについて述べている。
③コミュニストは「党」を必要とするかどうか、については、共産主義者同盟結成を巡って、マルクスへの「反対派」であったワイトリングがマルクスの主張を何点かに要約するなかで、「共産主義政党内のふるいわけをくわだてなければならない」「党にとって無用な分子を批判し、彼等を財源から切り離さなければならない」と述べているように、マルクスが「党」を必要としないという主張であるなどは、荒唐無稽なものである。
また、雁子氏の主張はマルクスの考えとして『宣言』のみを引用していたが、「万万万が一」これが正しかったとしも、生涯にわたってマルクスが同一の主張をしていたかどうか、という論証もなかった(まあ、別に学問的な論考でもないので、目くじらをたてる程のこともなく、私の批判も大人気ないとは思うが<笑い)。
かつての、不破・田口前衛党論争において、田口氏も1871年のパリ・コミューン以降はマルクスも本格的に労働者階級の党の必要性を認めていた、と述べていた。実際には、共産主義者同盟が解散する以前の段階でも「ドイツにおける共産党の要求」や「労働者党の独自の組織化のよびかけ」などを出しており、当時は党の必要性を認めていなかったということも無理である。
今日では共産主義者同盟の結成やその活動についてかなり詳細に知りうる資料があり、マルクスの「労働者階級の党」についての議論は歴史の空白が埋まってきているのである。
④こういうことであるが、最近、『共産党宣言ー解釈の革新』などとして、石塚正英氏などが、ハロルド・ラスキなどの議論に触発されて、「共産主義者は、他の労働者党にならって個別の集団としての党をつくることはしない」との解釈を発表している。
雁子氏の文章が、これらを踏まえていることは想像がつくが(しかし、石塚氏はさすがに岩波の『宣言』の訳が「誤訳」であるとまでは言っていなかった<笑い)、石塚氏の主張は、『宣言』の第2版が「共産主義者宣言」と書名が変わっていることを根拠にして「共産党宣言は共産主義者宣言である」などと表題をつけていたが、肝心の「第2版」の名称変更について、橋本直樹氏から事実関係の指摘をうけ、グズグズの内容になっているのである。
注)マルクスの「前衛」概念と政党論については、私の1月27日の投稿を参照して欲しい。
追伸 「論語読みの論語知らず」
論語さんの「硬派」な投稿が目を引いた。
共産党中央の主張に「盲目的に追従せよ」とも言える主張であり、笑えた。一般投稿欄への投稿であることも泣かせる。
しかし、よく考えてみると、「しんぶん赤旗」において、この「さざ波通信」への投稿は「たとえ善意からであっても、けっきょく彼らの党攻撃の目的に手を貸すことにならざるをえません。」とされていた。論語さんは、党攻撃に手を貸してしまったのだ!
盲目追従なら、徹底して、この「しんぶん赤旗」の主張にも従がって欲しかったと思うのは私一人ではないだろう<笑い。
論語さんに、先に私が引用したワイトリングに対するマルクスの批判をプレゼントしておく。ワイトリングの理論軽視への批判に対し、曰く「いまだかつて無知がだれかの役に立ったことはなかった」と。