「岩波版・共産党宣言」はレーニンの「一揆主義」を盲信していた!
―岩波文庫「共産党宣言」の誤訳を正すべし―
「コミュニストとして」の討論の座標軸を確立しよう(第4回)
本項(第4回)は、「岩波版・共産党宣言」p54,11-17行の有名な個所を取り上げる。そこにはこう書かれている。
「これまでの一切の運動は、少数者の運動、或は少数者の利益のための運動であった。プロレタリアの運動は、途方もない多数者の利益のための、途方もない多数者の独立的運動である。現代社会の最下層であるプロレタリア階級が起き上がり、立ちあがることが出きるためには、公的社会を形成する諸層の全上部構造を空中にけし飛ばさねばならない。」
この文節後半は、「プロレタリアの運動」はそもそも途方もない多数者のそれぞれ独立した運動であるが、そのなかで『プロレタリア階級の決起は、全上部構造の粉砕からのみ始まる』と解釈される。これはレーニンのブランキスト的一揆主義につながるものだ。
だが、原文(英文)を直訳するとこうなっている。
「全てのこれまでの歴史的な諸運動は、少数者集団の、もしくは少数者集団の利害関係の中での諸運動であった。プロレタリアの運動は、一人ひとりが自覚した、計り知れない大多数の利益に基づく計り知れない大多数の独立した運動である。プロレタリアート―我々のいる社会の最も低い階層―は自分自身を奮起させることができない、立ち上がらせることができない、公的社会の全抑圧階層が空中に跳ね飛ばされることなくしては」。
一読して分かるとおり、莫大な多数者の運動が、全抑圧階層を空中に跳ね飛ばしたとき、初めてプロレタリアートは、立ち上がれる。といっているのだ。だからボルシェヴィキ的な党が必要だ等と延伸律を適用するわけには行かない文脈なのである。レーニン主義を葬った東欧の民衆革命の様相をずばり表現しているところである。
翻訳原文(英文)は次の通りである。
All previous historical movements were movements of minorities, or in the interest of minorities. The proletarian movement is the self-conscious, independent movement of the immense majority, in the interest of the immense majority. The proletariat, the lowest stratum of our present society, cannot stir, cannot raise itself up, without the whole superincumbent strata of official society being sprung into the air.
ところが、この後に続く一文も問題だ。
「ブルジョア階級に対するプロレタリア階級の闘争は、内容上ではないが、形式上は、何よりも第一に国民的闘争である。各々の国のプロレタリア階級は、当然まず自分自身のブルジョア階級を片づけねばならない。」
「ブルジョア階級を片づけ」るとはどういうことか!? と思ったら直前の文章にあれがあった、「全上部構造を空中にけし飛ばさねばならない」が。やはりこれをプロレタリアートの初期任務と認識しているわけだ。この誤った先入観がmattersを読み落とさせたのだろう。
私の直訳を掲げよう。
『実質上ではないとしても、形態上では一層、ブルジョアジーに対するプロレタリアートの闘争は、第一に国民的闘争である。各国のプロレタリアートは、当然まず自国のブルジョアジーとの諸問題を処理しなければならない。』
原文を掲げておこう。
Though not in substance, yet in form, the struggle of the proletariat with the bourgeoisie is at first a national struggle. The proletariat of each country must, of course, first of all settle matters with its own bourgeoisie.
(以上第4回)