私は7月6日付の投稿で次のように述べました。大歩危さんが共産主義を否定しないのに革命を否定するのはおかしい、というのも資本主義と共産主義との間には断絶がある以上、その断絶を埋めるための革命は必然的に求められるはずだからだ――。これに対する大歩危さんの回答は、こうでした。資本主義と共産主義との間には断絶はない、したがって革命などは不要(有害?)だ――。
この投稿を読んで私は納得がいきました。すなわち、大歩危さんと私とでは共産主義の理解がまったく違っていたのです。今ここで共産主義について詳しく述べると超長文になってしまいますのでやめておきますが、一点だけ言っておきます。マルクス主義の学説では、共産主義社会というのは国家が死滅した後に現われる社会のことを意味しますので、「共産主義国」なる概念は言わば形容矛盾です。つまり、大歩危さんが挙げられた中国の資本主義化という例は何ら共産主義と資本主義がボーダーレス化することを意味しません。
これはマルクス主義の考え方ですので、大歩危さんがそれに従う理由はないかもしれませんが、日本共産党はそうもいきません。日本共産党は大歩危さんとは違って、革命を通じて資本主義から共産主義へと移行するものと理解しています。党綱領をお読みいただければお分かりになると思いますが、まだまだ決して革命を放棄したわけではないのです。加えて言うと、党綱領は共産主義社会に向けた革命という遠大な目標ばかりでなく、「当面する革命の性格」についても一章を設けて論じています。
したがって、大歩危さんが「革命を夢見ている」咎でArnoldさんを批判し、「革命路線を捨てた」共産党を擁護するというのは、共産党の路線への誤解に基づいたものであったわけです。