戸坂潤の科学的精神は、凶暴を極める非合理な天皇制ファシズムに対して敢然と立ち向かっていった。其の点では日本共産党が科学的社会主義の旗を掲げることは、固有人物の名前を冠する教条主義に陥らぬ点でも、非合理主義との対決の点でも、有意義な特徴である。
しかし、何かが足りない。現在の日本共産党を見ていて想うことは、たとえば思想的深さを感じさせる人物が少なくなった。マルクス主義でも共産主義でもよいが、正面から時代にぶつかるひょうひょうたる人物の輝きがうすい。これが私の独断だけならよいが、古在由重氏を除籍し、芝田進午氏が逝去した今、いっそうそう想う。 結局は科学的社会主義のもとに何を構想するかの問題である。それ自体はよいにしても、寛容の思想、友愛の思想、連帯の思想、思想の共存と共感がうすい。また科学的社会主義の方法論に深みがないのは認識論や価値観に、科学という名を冠することができない人間の感受性や情動についての把握のしかたが紋切り型である。
21世紀がアフガンへの戦争で始まった今、多面的な認識と異なった価値観や宗教との交流が必要である。人類生存のための哲学と思想こそ、日本共産党の視野に不足していると感ずる。