「マルクス主義は不変」と言った論者が、次のレスでは「理論は不偏」「理論の不偏生」と言い出した。これではどう解釈すべきかさだかでない。
マルクス主義は不変だ・・・このような硬直した姿勢からスターリン主義とポルポト虐殺が生じたのでなければよいが。
「理論の不偏性」と「理論の普遍性」とでは全く異なる。偏向していないとか、偏らないというのが不偏性である。:このような弁別をあげつらうことは、意味がないだろうか。概念は言葉を正確に表記させる。
そのような留意をはらわないと、本人の本意さえ他者には伝わらない。さて、主体と対象とどう向かい合い対象の矛盾を解決するかが、理論である。対象が変化したら、それを精緻に認識しなくてはならぬ。その精緻な認識の枠組みが論理である。論理によって、理論が体系化される。そのような往復の認識の過程さえ無視して、はじめから理論が絶対とする自惚れた姿勢が、まじめに日本共産党を支持する庶民さえも遠ざけていくリアルさがないと、横柄な教条主義では却って日本共産党を離反させることに気づかぬだろうか?