反共でもない。礼賛者でもない。京都共産党はよく努力された。だが、選挙後の談話をHPでよみ、「空しい虚しい」と感じた。
実がないのだ、分析がないのだ、展望がないのだ。筆坂さん、「民主府政の会」も「京都勝手連」も、極めていやがった、忌み言葉をご存知ですか?
「大善戦だったなんて使うまい、全力を傾けよう」。自民党府政いらい最大の得票とか、衆院選の何倍とか、何処ではトップだったとか、そんなことは「分析」とはおよそ縁遠い話ではありませんか。
なぜ、最大の得票にもかかわらず負けたのか?
次の府知事選を勝つためにはどこが力及ばなかったのか?
さしあたり次の闘争課題は何なのか?
それを勝つためには、どのようなことが必要なのか?
そのような具体的展望を示し、明快にわかりやすい課題を示せば、いまの選挙闘争に参加した庶民は、さらに渦をひろげて運動の輪を拡大していくと想いませんか?
みすみすそのような「拡大」の絶好の機会を潰せば、チャンスは遠ざかります。
大衆が参加した闘争の結果を教訓化して、そこから課題をさししめすから「科学的」なのです。それさえ不充分では、「科学的社会主義」の名を僭称すべきでない、と言われてもしかたないことになってしまいます。
なにはともあれ、「京都の」共産党さん、そして応援された他の党員さん、そしてともに闘ったすべての皆さん。お疲れ様でした。いい選挙戦でしたね。