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「科学的社会主義」討論欄

不破哲三氏の過去と現在の議論について(その2)

2002/8/16 岩本兼雄

1、不破氏の引用のパターンについて
 不破氏が、マルクス、エンゲルス、レーニンの文献についてかなり恣意的な引用をやっていることについては、<さざ波>への投稿でもいろいろと指摘されているところである。たとえば、川上慎一氏の投稿<「荒れ」ていないレーニンに「荒れ」を見いだす不破氏の荒れ>(2000.9.23)にみられる。川上氏の指摘する不破氏の引用は、不破氏による曲解をレーニンに押しつけているところにある。この曲解=民主主義を軽視するレーニン、という批判は、不破氏の大著「レーニンと『資本論』」のメイン・テーマなのであるが、この問題は別に詳細に検討すべきものである。不破氏が「議会で多数をえての革命」を基礎づけるためにどんなに悪戦苦闘しているか、その正否はおくとして、よくわかる著作である。
 私が前回指摘した不破氏の引用の仕方は、川上氏が指摘したそれとは引用のパターンが違うので、ここで前回指摘した不破氏の引用の仕方を少し立ち入って検討してみることにする。というのは、不破氏が自説を権威づけるために用いる引用にはいくつかのパターンがあり、そのパターンが不破氏の思考方法を明瞭に示しているからである。

2、矛盾した引用がおきる原因
 前回みたように、40年の歳月を経た同じ問題・社会主義経済建設・管理の基本についてのマルクスの二つの引用、今年のそれは「結合した生産者たち」であり、40年前は生産手段の国家による掌握であった。
 こうした矛盾した不破氏の説明とその引用が起こるのは、前回述べたように、その時々の必要性(むろん政治的必要性のことであるが)の見地から問題をとらえていることに原因があるのであるが、しかし、一般的にいって政治的必要性の見地から批判することが、必ずしも不破氏のような矛盾を引き起こすわけではない。不破氏のように政治的必要性の見地から批判して、しかも矛盾に陥るのはもうひとつ別の事情があるからである。
 不破氏の場合、国家か生産者かという矛盾が起こるのは、国家と生産者が思考の中で現実から分離されていることに原因があり、現実から分離された国家と生産者が、不破氏の頭脳の中で自由に動き回り、政治的必要に合わせて任意に一方が選択されるという関係になっているのである。

3、いささかこむずかしいが
 この点をもう少し説明しよう。社会主義経済の建設を考える場合、現実には国家も生産者も必要であり、どちらを欠いても社会主義経済建設を考えることはできないのである。こんなことは誰でもわかることである。だから、社会主義経済建設を問題にする限り、国家も生産者も必要なのであって、両者をどのように組み合わせるか、これが問題の中心であり、両者を切り離して論ずることはできないということも自明のことなのである。ここでいう両者の切り離しとは二重である。両者を現実から切り離すことはできないということと、国家と生産者を切り離すことはできないということ、これである。
 思考の中では両者を自由に分離することができ、その各々を独自に抽象的に考察できるのであるが、現実にはそれらはある一定の諸関係のうちに存在しているのであって、両者の組み合わせをどうするかという現実の問題を考察する場合には、抽象的に、分離された両者の組み合わせをあれこれと現実と離れて論じることはできないのである。
 したがって、ユーゴ綱領が1958年に国家管理から「結合した生産者たち」の経済管理に主体を移すと述べたことを批判するためには、ユーゴの経済がどうなっているか、その現実の分析を前提にしないかぎり、ユーゴ綱領の社会主義経済建設論批判はできないこともまた自明のことなのである。
 ところが、不破氏はユーゴ綱領の社会主義建設論を批判するにあたり、このことがわからなかった。あるいは気がつかなかったといってもよい。レーニンらは、このことがわかっているから、政治的必要性から批判する場合でも不破氏のように一面的な見地から批判して矛盾に陥るということがないのである。
 このことがわからないで、ユーゴ経済の分析抜きにユーゴ綱領の社会主義経済建設論を批判するということは、不破氏の思考の中では、両者はすでに述べた二重の意味で分離された抽象的な国家と生産者たちであることを示しているのである。
 あるいは逆に次のようにいうこともできよう。現実から分離された抽象的な国家と生産者を考えているから、両者の組み合わせを単純に国家か生産者か、あるいは国家中心か、生産者中心かとして、ユーゴ経済の現状分析ぬきにユーゴ綱領の社会主義経済建設論を修正主義と批判することができたのだと。

4、不破氏によるユーゴ社会主義建設論批判の性格
 そこで、もういっぺん、不破氏によるユーゴ綱領批判を見直してみよう。
 こうした不破氏による考察の欠点が前回述べた不破氏の議論のどこに現れているかというと、ユーゴ綱領が社会主義経済建設の二つの型について述べているのに対し、不破氏は社会主義建設の一般論の見地から批判するということに現れているのである。一般論の見地からすれば、ふたつの型はいっさい考察の視野から抜け落ちてしまい、ユーゴの経済建設論批判の前提として現状分析が必要だという意識すら不破氏の頭脳には発生しないことになるのである。
 不破氏にとっては二つの型は社会主義建設の一般論における経済建設の主体のあれか、これかに解消されてしまっているのである。こうして、不破氏によるユーゴ批判の政治的必要性という見地は現実のユーゴにおける社会主義建設の問題を一般論に解消して考察するという見地と結びついておこなわれているのである。この結びつきのうちに不破氏による議論の仕方の特徴があるのである。しかし、本来的にはそうした結びつきは何らの必然的な関連も持っていない、批判の政治的必要性は二つの型の検討へと進むこともできたのである。ところが不破氏の思考方法がすでに述べたように二重に抽象的なために不破氏の頭脳の中では一般論と結びつく必然性が発生するのである。
 そしてまた、40年を経て同じ誤りが今度は社会主義諸国の崩壊という現実を間にはさみ繰り返されるわけである。いずれも一面的なそれ、不破氏の頭脳の中では、半世紀を越える大戦と冷戦の現実を経たソ連の現実もここではユーゴ批判と同様、一般論の見地から、すなわち、現実とは切り離して今度はその政治的必要性という見地は国家ではなく「結合した生産者たち」を発見するわけである。

5、不破氏の構造改革論批判を40年後に検討する意義
 不破氏がユーゴ経済建設論の批判にあたり、すくなくとも氏の思考の表象にユーゴ経済が思い浮かべられていれば、こうした誤りに陥らなくともすんだのであり、自分の思考方法の欠陥も自覚できたはずなのである。そして、すでに見たように今日不破氏が評価する「結合した生産者たち」を40年前に発見できたかもしれないのである。
 しかしまた、そうであれば逆に不破氏の大量な批判論文(構造改革論批判等)の数々も生まれなかったであろう。不破氏が今日、「結合した生産者たち」というとき、40年前の思考様式が今日に生きていることを疑いもなく示しているのである。
 その特徴は、現実から切り離された諸範疇の自由な駆使ということにある。マルクスにはマルクスが向かい合った現実があり、レーニンにはレーニンが向かい合った現実があった。彼らの向かい合った現実に我々が遡航するとき、その現実はすでに歴史であり、不破氏が現実を捨象する思考方法を駆使するとき、マルクス、レーニンらの理論は歴史を捨象された理論に転化することになろう。
 すでに建設を開始した社会主義国ユーゴが1958年に経済建設の具体策を打ち出したことにたいして、こともあろうに、パリ・コミューンすら未だ見ることのないマルクス、エンゲルスが1847年に『共産党宣言』で、打ち出した抽象的な規定「支配階級として組織されたプロレタリアート」に「生産用具」(生産手段という範疇すら確立していない!)を集中せよと述べたことを引き合いに出す没歴史性をみてほしい。
 こうした誤りは、誰にでもある若気の勇み足ということもできようが、その若気の勇み足が是正されることなく今日に生き延び、有名な理論家として大きな影響力をふるっている以上、不破氏がレーニンを歴史的に読む作業をやったのと同様、我々もまた不破氏を歴史的に読む必要があるのである。不破氏の理論家としての出発点も構造改革論(批判)にはじまり、今日また構造改革論でその有終の美を飾ろうとしているかに見えるからである。