ヘーゲルの論理は次のような図式に整理することができるであろう。まず、問題となっている事柄について、分析によって2つの「矛盾する」対概念、aとbを見出す。そして、aを調べて非aを見出す。また、bを調べて非bを見出す。このようにして、aとbを矛盾するものと考えていた最初の前提が間違っていたことを明らかにし、aとbとを契機として含む新しい概念cを導入する。
しかし、このような図式を明らかにしたからといって何ら哲学に貢献したことにならない。第一に、例えばaを調べて非aを見出す証明に、上の図式は何ら情報を与えていない。この証明は、数学の証明と違って、こういう証明もある、ああいう証明もあるというようなものであってはならない。第2に、新しい概念cを導入するには、既存の表象の助けを借りざるを得なくなる。もっとも、それは、同時に、表象を概念に変えるプロセスでもあり、勝手な表象を持ち出してくるわけにはいかない。
結局、ヘーゲル哲学を発展させる上で、正反合というような傍観者的な図式は全く役に立たず、対象に沈潜して研究し、対象をして語らしめるように叙述するしかないのである.
以上、まだ仮説の段階ですが、あえて書きました.