マルクス主義はロシアにおいて、レーニンの革命論をもとに社会主義革命として結実した。その後百年近く。
いまでは、日本共産党は「科学的社会主義」として特定の個人の名前を冠さず、その社会主義思想を特徴づけている。
戦後の技術革新と高度経済成長によって、先進資本主義国の仲間入りをした日本。新たな社会の様相に対応した労働運動論のなかで、「生活協同組合労働」や「労働者自主管理労働」は新しい労働運動の理論としても注目されるようになってきていた。
ところがそのような段階にいたったにもかかわらず、全国のあちこちで、かぎかっこつきの民主的団体からほころびがでてきた。それはまさに全国のあちこちで噴火した火山列島にもにていた。
有田和生氏は、さざ波通信第29号で編集委員がとりあげれたように、民医連の内部で腐食しはじめた停滞に、まっこうからとりくみ、それゆえに労働権利を剥奪され労働現場から疎外されるにいたった。
氏の著作『「福祉」の思想を問う』には、そのような民医連と日本共産党の内部で発生した官僚的な矛盾を指摘するい意欲がみなぎっている。詳細はそれを読むことでしか、代替できる手段はない。
さて、科学的社会主義は、いまの日本に適合的な社会主義理論でありうるか?
有田和生氏の著作を読むと、現行の科学的社会主義が「自由と民主主義の宣言」を画期的と掲げようとも、その旗をふる手のひらにまみれている汗は、労働者が労働の尊厳にもとづいてかちえた汗ではないということがわかる。
社会主義をかかげることが建前や理念で実態を伴っていないこと。それに十二分に着目する必要がある。
労働運動の革新、労働の原理の革新。それはなまなかなことではない。けれどいまそれにこたえうる創造がなされなければ、科学的社会主義はスターリン、毛沢東晩年、ポルポトなどの専制主義に変質していくことであろう。
労働の現場から自前のアタマと自前のことばを紡ぎだす営み。それらがいまこそ要請されている危機的段階は、無い。その戦いはしんどい闘いであろうし、その戦いは厳しい闘いとしてはじまっている。
幾多の運動犠牲者の屍の山が累々とつづき、それで科学的社会主義の理念は現実とははるかに隔たっている。ヘーゲルが展開した精緻な絶対理念の発展を、レーニンが唯物論的に改作しえたとたたえられてきた。
けれども、歴史の現段階は、何度でも人類の文化の水脈を掘り続けて新たな歴史を創造する理論の構築を求められている。
あらためて、ヘーゲル、フォイエルバッハ、カント、ホッブス、J・S・ミルなど多くの思想家の知恵が再吟味されねばならない。
歴史の閉塞がささやかれている今だからこそ、新たな視野で労働と自然の世界史的理論の蓄積の山脈から、私たちは日常を解放し日常を構築するみちすじを建設していかなければならない。
そのひとつの勇気ある証として、私たちは目の前に一冊の苦闘のドキュメンタリーを獲得しているだろうか?