京都の自治労組合さんが、11月10日の投稿においてキム・ワンソプ著『親日派のための弁明』を紹介し、著者がナポレオンのドイツ侵攻に対してフィヒテとヘーゲルが対立する立場にあったと著わしていることを、要約として述べられている.実は、この著作をまだ読んでいないのだが、ヘーゲル研究の最重要文献とも言われるローゼンクランツ『ヘーゲル伝』(みすず書房)では、この辺の事情をどう記述しているか調べてみたので、報告したい。
1. 確かにヘーゲルはナポレオンを歴史の流れを体現する英雄として高く評価していた。これは、『歴史哲学』や『法の哲学』にもそういう記述があるが、彼は戦争のはじまる前にニートハンマーに宛てた手紙のなかで(「前」に傍点がついている)次のように書いている。
皇帝--この世界精神--が町を通って騎馬で視察に出かけるのを見た。ここにいて自分の心を一点に集中し、馬にまたがりながら、世界に君臨してこれを支配しているこのような個人を見ることは、実にすばらしい気持だ。(p.206)
2. しかし、個人的には侵略でひどい目に遭った。1で紹介した手紙のなかで、すなわち、すでに戦争の前に、書き上げた『精神現象学』の原稿を送付したがそれが到着したのかどうか疑い、「僕だけが苦しまなければならないのか」(p.206)と嘆いている。また、戦闘に先だって侵入したフランス人の狼藉にあい、戦闘で紙やペンナイフさえ失い、「ある友人のところで戦争を悪魔と呼び、戦争をこんなにひどいものと考えた人は誰もいまいと言った」(p.205)そうである。
3. ここから、ヘーゲルは(さらなる)トイツ国制の批判に向かうが、 ローゼンクランツに言わせると、「ヘーゲルはいわばドイツのマキャベリになろうとした」(p.211)のだそうである。確かに征服者ナポレオンの力を否定してはいない。
ドイツ国民の一般大衆は、征服者の力によって一つの集団にまとめられざるを得ないし、諸民族は自分がドイツに属するものと考えるように強いられなければならないであろう。(p.217)
しかし、このような主張自体が、愛国者であり国(フィレンツェ)を救うためには権謀術数も厭わないマキャベリの精神にたったヘーゲル特有の狡知であった、ということであろうか。
4. そこで、フィヒテであるが、ローゼンクランツは次のように書いている。
フィヒテが同じ道を進むように駆り立てられ、熱心にマキャベリ研究に励んだことを思い起こしてもらえばよい。二人の哲学者を即してそうさせ得たものは統一への限りない欲求であった。(p.211)
フィヒテとヘーゲルを単純に対立させるわけにはいかないようである.