かりに、日本共産党に、「青年と社会主義」について論ずる理論家がいないとしても。
あなたが論じ、私が論じ、みんなが論じ合えばよい。
別に青年に論じることができないのではあるまい。日本共産党でも党外の学者でも、社会主義を論じることに急速なダメージをもっている傾向が増加してきているのではないだろうか。
迫りくる弾圧と戦争敗戦の「空気」のなかで、毅然と社会主義を論じた一群のひとびとがいた。尾崎秀実、古在由重、戸坂潤。獄中にいた宮本顕治、徳田球一、志賀義雄、袴田里見。虐殺された小林多喜二、岩田義道。
その社会主義をスターリン主義と呼ぶことも、コミンテルン型スターリニズムと呼ぶことも可能であろう。
しかし、歴史の制約にもかかわらず、毅然と非戦と反戦とを主張した時代の勇気は、いまに生きる民衆の歴史を貫く知恵であろう。
誰も青年に時代の希望を語る理論家や党員がいない朝。
あなたが語ればよい。私が語ればよい。党員で無い者が語ればよい。理論家でなくとも。
いま私たちが、最低限度になにに希望を見出せるかを語ればよい。
剰余価値学説でなくとも、高度資本主義論でなくとも。
あなたがなにを資本主義ではないところの社会への夢をもっているかを話せばよい。
啄木は言った。
「限りなき議論の後、誰ひとりとして、ヴ・ナロードと名乗り出る者なし」。
明治に慨嘆した啄木の嘆きは、幸徳秋水死刑という大逆・冬の時代を過ぎて、ロシア社会主義革命と戦後民主主義の台頭を経由したいまですら、その木霊は残響しつづけている。
理論家に求めるのか。
日本共産党にもとめるのか。
まず、労働と生活に明け暮れる日本の民衆たちよ。
自らの労働において労働者知識人として、己の労働を研究してそこから労働理論の創造性を開拓すればよい。
生活の全面にわたって生活民主主義主体として、己の暮らしの主体として生きているのか。
主人がいなければ、日本の民衆は解放の理論さえ自分達で構築できずに依存しつづけるのか。
それでは魯迅がいい竹内好が紹介したように、奴隷の優等生でしかないのだ。
いつまで外国に、自分のそとに理論を求めるのか。
青年たちにつげるのは、私たち無告の民しかいないのではないのか。
ソ連にわたった日本人共産主義者たちは、第二次世界戦争のスターリン治下のソ連邦で、野坂参三氏以外はすべてスパイの汚名を浴びせられて粛清という名の死刑執行に遭った。それでも国際共産主義運動万歳と叫びつつ名誉ある処刑に甘んじていったのであろうことか。
そして、みんないなくなった。
日本の社会解放は、日本の民衆たちが草の根として自立していった日にはじめて其の記念すべき時を迎えることであろう。
誰でもない。あなたであり私が言わないならば、この困難な時代に、青年に社会主義を語る生きた真心のことばなど語り合える存在など皆無なのだ。
なぜなら、それほどに難しく実現の困難な時代に私たちは追い込まれているから。それゆえ、暮らしの深部から解き放たれた重みのある内実を伴った言語と理論でないかぎり、青年は彼自身もきづかぬ時代の絶望から救済されぬことを、動物的な本性ゆえに混沌たるカオスのなかで把握し、そして真実の伝言をいつまでも待ち続けて、そして息絶えていくのだ。
青年のなかへ。
かれらに届く真実のロゴスを開拓することは緊急の課題であることを。