今後しばらくいまの憲法改定勢力による政治支配は続くことが予想される。それを客観的に補うかのように、共産党の指導の低迷も続くかも知れない。私には、それが戦後の出発にあると思う。戦時中に獄外で闘争した党員は、私の管見する限りでは松本信一と古在由重の京浜労働者チャーターグループだけと思われる。また国外ではスパイの汚名を着せられて除名された野坂参三(私は野坂氏をスパイとは思っていない)やドイツで活動した日本人共産主義者グループである。獄中にいた18年の志賀義雄や徳田球一、獄中12年の宮本顕冶らは抵抗者としては意義あるが、その10数年にコミンテルンでの反ファシズム統一戦線理論や獄外での横浜事件の冤罪や戸坂潤たちが合法的学術研究団体として最後までぎりぎりの抵抗をおこなったことも知らないと思われる。そのことが戦後の第一歩を決定的に影響づけている。主体性論争や大衆社会論争、昭和史論争など本来はおなじ民衆次元の論争でありながら、最後まで統一した共同の論理化にまで結晶することはなかった。戦後民主主義運動に大きな影響を与えた丸山眞男を戦後半世紀近くになっても打撃的批判の対象とするような戦前型・・・(文字化け)・・・。
戦後日本の支配の歴史を考えるとき、いくつかの段階があろう。GHQにおける占領軍の時期でも、アメリカ政界支配層のふたつの潮流を巡り複雑な様相を呈する。ニューディール政策を進めたルーズベルトのような政治家もいれば、トルーマンのような反共を第一の政治的判断におく政治家もいる。初期に中国をソ連からの反共のとりでと考えていたアメリカ政府が、中国革命の成功によって、急遽方針を転換して日本を反共のとりでと変えたことは、日本にとっても東アジアにとっても幸いであったろうか。日米安保条約1960年改定にともなう国民的闘争は、戦後最大の支配層と民衆との激突となった。私はいままでブントによる過激な行動を跳ね上がりであり、学生固有の小市民的急進主義と認識してきた。だが、それだけではないと最近考えている。なぜか。それはフランスパリ1968年五月革命の歴史的意義を考えるようになってからである。日本共産党の学生細胞から始まった共産主義者同盟(ブント)は、黒田寛一を哲学的理論付けとする革命的共産主義者同盟とともに日本におけるトロツキズムのはしりとされる。主に共産党の側からトロツキー自身が「反革命分子」とレ・・・(文字化け)・・・悲惨な労働三権の侵害があいついだ。同時に、公明党・創価学会を体制的に取り込む働きかけも自民党は精力的に水面下でおこなわれ続けた。創価学会と池田大作氏への攻撃や懐柔は歴代の自民党実力者の課題だった。それか゛結実したのが社会党公明党合意による全野党共闘路線の廃止と共産党との社会党の共闘を絶縁する動きであった。さらに第二段階かが公明党の政権参加であった。
アメリカを領主とする日米関係は、背後にさまざまな利権構造をまきこみながら続けられた。これはと思う保守系タカ派政治家がアメリカCIAの協力者=スパイであったという摘発はいままで出版物でも公にされてきた。いまでは総理自らがアメリカの手先として小間使いのように扱われることに汲々としている。いま日本支配層はアメリカの一部政治家の利権保障のために動く政治家を中心に動いている。さらに政界全体の右傾化反動化の流れに乗遅れまいと必死になっている多くの野党議員も含めて、政界再編という名の憲法改定体制に、しあげをめざしている。
このような政治的今日にあって、私たちはどのような言論活動が可能だろうか?