ロシア革命は、ロシアの労働者階級の革命である、と同時に、ボルシェビキの革命でもある、と言われている。
ロシア革命を、今日の視点でよく観察すると、労働者階級を代表していたのは、トロツキーであり、ボルシェビキを代表していたのはレーニンである。
ボルシェビキ無しに、あの革命は成功しなかったのは、歴史的な事実だが、今日的な視点で再検討すると、この歴史的事実というものは、偶然的な要素が、数多く含まれているようにも見える。
メンシェビキが、反戦と講和を求めて決断すれば、ボルシェビキの出番がなかっただろう。
メンシェビキの特徴は、マルクス主義を自認していても、愛国主義という雑多な民族主義から決別できず、レーニンの「戦争を内乱へ」という宣言に同調できずにいた。
実は、スターリンも民族主義に犯され、メンシェビキとの妥協を試みていた。
この偏狭な民族主義との決別を、いち早く成し遂げたのがレーニンとトロツキーであった。
第一次と第二次の革命で、ロシアの労働者階級が、己の指導者として指名した指導者は、レーニンではなく、トロツキーであった事には、注目すべきことである。
更に、トロツキーはレーニンと合流する前は、「民主集中制は代行主義となり、恐怖政治を招く」とレーニンを批判していた。
今日の視点で、ロシア革命を観察すれば、ロシアの労働者階級の意志を受けたトロツキーの革命に、メンシェビキは背を向け、レーニンとボルシェビキは支持した、という事こそ、真実の姿であるように思われる。
ロシア革命は、ボルシェビキの革命ではなく、ロシアの労働者階級の革命であった。
従って、レーニンの革命ではなく、トロツキーの革命であった。
私は、様々なジグザグを経ながらも、21世紀を通じて、社会主義の思想は、更に、一段と輝きを照らし出す事が出来ると考える。
しかし、そのためには、己の過去の真実の姿を、見つめる勇気が不可欠である、と考える。
自分にとって都合のよい「栄光の過去」に耽っても、未来は手を差し伸べない。
己にとって都合の悪い過去を暴きだし、それを乗り越える勇気を持ったものにこそ、未来がある。
私は、トロツキーこそは、21世紀を通じて、一段とした輝きを人類史上に照らし出すと確信する。