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「科学的社会主義」討論欄

寄らば大樹の陰様へ

2004/4/6 勘太郎、50代、教師

 寄らば大樹の陰様、私の拙論に対していねいなレスありがとうございました。
 私は寄らば大樹の陰様の姿勢には共感することが多く、僭越ですが、理想を同じく する同志だと思わせていただいています。
 ですから今回の議論も、完全に意見が一致することはないかも知れませんが、後味 が悪くならないように皮肉や感情的言辞をさけ、また少しでも建設的なこと読者のみ なさんに問題提起できるようにできればと思っています。よろしくお願いいたします。
 なお私は、私側から言いたい論点がなくなったとか、議論がすれちがいすぎるとか、 議論を続ける意味がなくなったと判断した時点で、直接のお答えをしなくなるかも知 れません。しかし私に非があったことを自覚したときは、それを断った上で議論をや めるつもりです。あらかじめご了解いただければ幸いです。
 それからこの議論は、一般投稿欄で議論するには現時点ではなじまないように思わ れます(一般投稿欄には時事問題が多く投稿されるということです)。だから「科学 的社会主義」欄で行いたいと思います。たぶん寄らば大樹の陰様にも特に異論はない と思いますので(ございましたらこちらも再考させていただきます)、とりあえず本 稿から「科学的社会主義」欄に投稿しておきます。
 そこで今回の寄らば大樹の陰様の投稿について私の感想を述べさせてもらいます。
 まず「勘太郎様、もう一度共産党宣言を読み直して見ませんか」というタイトルには、自分は『共産党宣言』をしっかり呼んでいるが、私(勘太郎)はちゃんと読んでいないという含意があると思います。
 私が寄らば大樹の陰様と同等に『共産党宣言』を精読しているというつもりはあり ませんが、こういう表現はできれば避けていただきたいと思います。
 また寄らば大樹の陰様は、

 勘太郎様、「古典は古臭い」などと言わずに、もう一度 共産党宣言を本当に一 行ずつ、それこそスローライフ的に 読み直して見ませんか?

と書かれていますが、これでは私が『共産党宣言』を指して「古典は古臭い」と言っ たように、知らない方は受け取るでしょう(私はご存じのようにそんなことをどこで も言っていません)。
 「筆がすべった」ということでしょうが、こういう読者に誤解を与える表現もでき れば避けていただきたいと思います。
 私自身、軽薄な人間なので、過言や書きすぎは寄らば大樹の陰様以上にやっていま す。ですから上の注意は批判ではなく、お互い気をつけたいという「同志的呼びかけ」 と受け取っていただきたいと思います。
 もちろん私の過言(しばしばあると思いますが)にも、寄らば大樹の陰様から、そ のたびご叱正をいただければ幸いです。
 さてはじめに確認しておきたいのは、私もマルクス主義の古典の中のいくつかの主 張について賛意を表しており、寄らば大樹の陰様と多くの共通意見を持っていること です。
 例えば、私は本サイトへの最初の投稿で『賃金・価格・利潤』の記述の現代的リア リティを指摘しました。また(どこでかは忘れたのですが)『共産党宣言』や『資本 論』をふまて、「社会的に生産された富が少数者への集中を続けることの不整合性」 をいうマルクスの資本主義批判は正しいとも言いました。さらに「ゲームの理論と労 働者の団結」で『共産党宣言』の「万国の労働者団結せよ」というテーゼが正しいと も言いました。
 だから寄らば大樹の陰様が、私への反論の多くを私も特に反対しないことに紙幅を 費やされているのを見るのはやや不審です。(それらの内容について私には異論もあ りますが、今回の議論で言及することは建設的とも思えないのでやめておきます)。
 そこでまず今回の議論の問題点を明確にしておきたいと思います。
 最初に私の「古典」に対する姿勢を述べれば、

 どんな古典にせよ、ただ有り難がっているだけではだめ で、それがどんな点で 正しく、どんな点でまちがっている かを、事実と論理から検討しなければならない。
 そして、そのような冷静な検討を経ていない軽信・独 断は、けっしてその古 典を生かすことにはならない。

ということです。
 以上の姿勢に基づき、私が拙稿「労働運動と市民運動(続)」で主張したたことは、

  マルクス・エンゲルス後150年経って、ブルジョアジーとプロレタリアの二 大階級への分裂は起こっていない。

ということをふまえて、

 労働運動と市民運動はお互いを尊重しつつ(つまりヘゲ  モニーをとろうとか 排除しようとかとする姿勢を捨てて)共闘しなければならない。

ということなのです。明確にするため前者を「二大階級分裂幻想論」、後者を「労働 運動・市民運動共闘論」と呼びたいと思います。
 寄らば大樹の陰様は「二大階級分裂幻想論」に反対されておられるのですから、さ しあたり「労働運動・市民運動共闘論」はおいて議論すれば良いと思います。つまり 今回の議論の主題は、

 二大階級分裂論は幻想か否か?

という一点にしぼられると思います。
 そこで議論に入りたいと思います。
 この点に関する寄らば大樹の陰様の具体的イメージを示すものとして、

 おそらくこの日本でも支配階級・ブルジョワといわれる 人びとはせいぜい2・ 3%でしょう、あとの97・8%は 労働者階級なのです。

というコメントを今回寄らば大樹の陰様はなされています。
 率直に言って私は驚きましたが、その97・8%の中には例えば農民もいますし、 小市民(中小事業主、商店主、家主、有産宗教家、その他)もいますし、年金生活者、 学生なども入ってくるはずです。(他にも「労働者」ならざる社会階層は考えられま すが、このぐらいにしておきます。)
 このことは今回の議論でもっとも基礎となることなので、まず上に引用したコメン トでの寄らば大樹の陰様の真意を確認させてもらいたいと思います。
 それは第一に「農民」は「労働者」なのかということ、第二に小市民(中小事業主、 商店主、家主、有産宗教家など)は「労働者」なのかということ、第三に年金生活者、 学生などは「労働者」なのかということです。
 念のために断らせてもらいますが、寄らば大樹の陰様は上の文章で、現在の日本の ことを問題にされていますし、私も現時点のことしか問題にしていません。将来どう なるかということを質問しているわけではないことはご留意ください。