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「科学的社会主義」討論欄

寄らば大樹の陰様へ

2004/4/10 勘太郎、50代、教師

 ていねいなご返事ありがとうございます。
 またご自分の表現を潔く撤回された姿勢にも敬意を表させていただきます。非常にさわやかな気持ちになりました。私も寄らば大樹の陰様の姿勢に学びたいと思っています。
 しかしそうするとあまり「論争」になりそうもないので、私の方の考えだけを少し補足させていただいて、関連する議論はまたの機会ということにさせていただきたいと思います(もちろん寄らば大樹の陰様に異論がなければということですが)。
 さて私の根本の問題意識は、立場の違う人民が連帯するためにはどういう思想が必要かということでした。
 先には労働者と「市民層」(未組織労働者もオーバーラップするでしょう)の連帯を考えたわけですが、実は労働者階級においても同種の問題にわれわれは直面しています。そこで私見の補足としてこの問題を提起しておきたいと思います。
 それは労働者階級自体も利害をまったく共有する単一の層となってはおらず、さまざまな「格差」の層にわかれたままだということです。
 今、日本の独占資本は労働者を3層(雇用柔軟型、高度専門能力活用型、長期能力蓄積型)に分けようとしているようです。搾取や管理は苛烈なものになっています。しかしその中にも「格差」はあり、そしてそれは無くなることはないでしょう。
 『共産党宣言』でいうように労働者階級が「失う物は鉄鎖以外にない」状況に一様になるということはなかったし、これからもならないであろうということも私見(というより眼前の事実と思いますが)として提示させてもらいます。
 それは「分裂して支配せよ」という独占資本の戦略によるだけでなく、現実の生産様式の多様性から必然的に生じてくるものとも思われます。
 またこのような労働者間「格差」は、移入労働力や海外労働力を考えれば、「先進資本主義国」内部のそれより、はるかに厳しいものがあるでしょう。
 しかし私は労働者はそういった「格差」を乗り越えて団結しなければならないと思うのです。ただしそういった「格差」のある労働者を結びつける思想が「共通の利害」だけで済むと私には思われません。
 より普遍的に、人間の尊厳の尊厳の実現と人類の生存のために、ある時には自分たちの損得さえ度外視するのだという高度の倫理的思想が必要だと私は思うのです。
 そしてそのような思想だけが、「格差」のある労働者間の連帯を可能にするだけでなく、労働運動と市民運動の共闘を可能にし、搾取や戦争のない「もう一つの地球」を可能にするように思うのです。
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 寄らば大樹の陰様と私はその理想に本質的な違いがあるとは思われません。
 私は『共産党宣言』を学ぶに値しない古典だと思ったことは一度もありません。繰り返しますが、人類社会の疎外と搾取を体系的に問題にした思想はマルクス主義だけです。ただ問題は疎外や搾取の解決であって、マルクス主義を神学的に墨守することによって現実から乖離するようなことになれば、それはマルクスの当初の意図とも乖離することになるでしょう。だから『共産党宣言』を読むにしても、どこが間違いで、どこが正しいのかを冷静に検討しながら読む姿勢が絶対に必要だと私は思うのです。
 寄らば大樹の陰様の今回のご意見を拝見すると、上の私の意見は寄らば大樹の陰様の意見でもあるように思います。
 私は本サイトでは新参のアウトサイダーで(少し大きな顔をしすぎているのではないかと反省しているのですが)多くの方からいろいろ勉強させてもらっています。
 寄らば大樹の陰様のご意見からは特に学ぶところが多々ありました。これからもご教示・ご叱正をいただければ嬉しいと思っています。