私は意識を物質の「反映」だとは、考えない。意識は物質自身から、「自立した反映」だと考える。物質はそれ自身の固有な法則に支配されて運動するが、この物質の「自立した反映」である意識は、この法則に支配されているわけではない。各々の個性によって、意識を支配する法則はばらばらであるだけでなく、一人の内部においてさえ、その時々において、ばらばらである。意識は物質を支配する固有の法則に、拘束・制約されるが、それは完全で、絶対的なものではなく、むしろ、この法則から、自由に飛翔しようとする。これが、空想とか想像という現象である。そして、物質から自由に飛翔した「自立した反映」は、己の姿を、物質自身に押し付けようとする。これが、創造である。
従って、創造とは、物質自身の内在的な固有の法則から、必然的に発見するのではなく、この法則から自立して、自由にあちこちに飛翔した像の中から、選ぶ行為である。スターリンにとっては、意識は物質の単なる「反映」だから、特別の優秀な官僚だけが、徹底的に対象を研究すれば、内在的に創造が生まれると考えた。自由なんて、創造のためには、雑音を増やす行為でしかない。「空想の自由」なんて、危険思想でさえあっただろう。しかし、自由の無いところでは、創造は生まれない。ただ、模倣だけしか残らない。