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「科学的社会主義」討論欄

異端について

2004/07/18 百家繚乱 50代 事務職

 ヘーゲルは「両立性は両立性と非両立性の両立性である」と言う。非両立性は、両立性の「自己脱出的な進展」である。非両立性においては、両立性はまだ、自己のままに留まっている。この非両立性との両立性こそが、己の両立性の回復であり、真の両立性の確立である。
 異端は、大抵の場合、自己脱出的な進展である。しかし、異端が異端である限り、正統的なのもは異端の中でまだ、自己のままに留まっている。異端の対立項としての正統は、時代遅れのままで生きている。異端は、右であろうと、左であろうと、それぞれの存在根拠を持って、正統が時代の流れに適応しようとして、新しい時代に無意識に放った矢である。組織が大きく羽ばたこうとするなら、この異端を己のうちに取り込むことによって、己の存在根拠を広げるべきであり、そうすることで、己を新時代に適応する意識的能力を獲得出来る。
 ヘーゲルは、異端との分裂の中にある段階を量的な段階として規定する。この量的な段階は、異端との葛藤と統一の運動によって、新しい質的な飛躍を獲得出来る。このような飛躍は、異端による正統の取り込み、つまり、異端の正統化という場合もあるだろうし、異端と正統の融合、ないしは強調的な両立という場合もあるだろう。ただ、このような統一の過程は、オープンな選挙のような過程でなければならない。異端の取り込みのためには、正統的中央の刷新が不可欠である。組織中央の刷新を抜きにして、異端との統一は不可能である。
 左翼の世界では、長い間、中間派は「日和見主義・修正主義」とレッテル張りされ軽蔑されてきた。正統と異端の和解と統一を求める努力は、この存在根拠を拡大する上では極めて重要な志向である。中間派への軽蔑と排除は、左翼の自殺行為であったことは、今日の事態から見て、全く明らかである。ボルシェビキの運動において、異端の排除が始まったのは、レーニン死後、権力獲得後である。この排除の過程は、革命の党から社会の上に君臨する党への変貌の過程であった。「日和見主義」的枝を追放することで、戦闘的になるというのは、全くの幻想、こんな現象は、革命的なボルシェビキの世界でもなかった。党が戦闘的になることで、「日和見主義」的な部分がついて来れなくなることはあるかもしれない。しかし、それと排除の論理は、全く、相容れない。排除の論理は、革命の党から君臨する党へ転換する過程で発生した。この論理は、己の官僚主義を隠蔽する論理でしかなかったし、革命の裏切の論理でしかなかった。
 長い間、左翼の世界では、「日和見主義」「修正主義」と言う概念は、教条主義と官僚主義を正当化させる役割りを果たしてきた。我々の社会は多様で多元的な社会構成体である。政治は様々な多元的な政治的潮流の力学で決まる。各々の政治団体は、他の政治的潮流や団体の動きに合わせて、己の戦略や戦術を変えるのは当たり前である。共産党は「日和見主義」の概念で、己の柔軟性と適応性を自ら奪ってきた。また、どんな党でも、新しい陣地・潮流に、己の翼を広げるために、己のイデオロギーをその陣地・潮流に合わせて修正するのは当然である。このようにしてこそ、多元的な翼を大きく飛躍させることが出来る。
 戦後の日本共産党の異端の排除の歴史は、有能な人材を、他党派に無償で提供してきた歴史であり、己自身の革命的な翼を排除してきた歴史である。そして、今でも、己だけが唯一の「社会主義者」だと信じつづけている。一般的には、物理的な世界と同じように、人間の世界でも、反発力には牽引力が働き、組織の縮小傾向に歯止めをかけようとする力が働く。しかし、独善的で神聖化された組織においては、この力が働きにくい。こうして、己自身の論理で自壊していく。ベトナム反戦運動は、数多くの有能な人材を日本共産党に提供した。日本共産党は民主集中制と言う排除の論理で力を獲得したわけじゃない。「アメリカ帝国」とベトナム人民の英雄的な戦いが、多くの日本の有能な青年を共産党のために役立てた。党はこの人材を、民主集中制の論理で、他党派に追い返した。なぜ、こんな現象が起きたのか?それは、異端を内部にとどめることは、組織中央の刷新を導くからである。共産党の組織中央は、長い間、党の歴史的役割りより、己の官僚的ポストを優先的に考えてきたからである。世界の人民の勇気ある戦いによって励まされた、日本の若い自主的で創造的な青年を、党が・・・(文字化け)・・・