阿Qさんが「一般投稿欄」でお書きになった言葉を、そのまま表題に引用させていただきました。
まさに、イデオロギーよりも人間性と付加すれば人格の問題でしょう。吉野源三郎は、古在由重が東京女子大で新カント派の哲学を講義しているときに、すでに政治的運動の渦中にいました。学問か実践かを選択に迷っていたときに、親友吉野源三郎は懇切丁寧に暖かく生涯の親友に、気張らず「まるで散歩でもするかのように」と励まします。
その吉野が軍法会議にかけられ、職を失ったときに援助したのが「路傍の石」の作家山本有三でした。一緒に新潮社の少国民文庫を編集しました。この編集された文学を戦時中愛読していた資産家正田家の文学少女は、世界中の出版や図書館に関わる人々の集いで、「あのきびしい戦時下にも良心を見失わなかった編集者がいた」とメッセージを寄せられました。そのひとこそ日本の皇后美智子妃でした。私は小宮山量平さんからおうかがいして、時代の地層の立体的な人間模様を改めて感じさせられました。
吉野源三郎が山本有三の名前で出版した「きみたちはどう生きるか」を丸山真男は大学院生の時に感銘を受けて読んだと言います。
五味川純平さんの「戦争と人間」は、戦争の前夜から敗戦までを延々と18巻にわたって小説にあらわしました。今また、さまざまな階級と集団内部の人間模様を展開しています。
いま大きくカープを切った時代の日本で、阿Qさんが紹介した三人の知識人に代表される人間と世界に連なる社会に、どこまでも的正面からたじろがずに立ち向かった人々は、「アリバイ証明のような政治主義や処世術」で物事をすます人たちではありませんでした。
私は、私たちが家永三郎さんの、実に多年に及ぶ教科書裁判闘争にみせた持続する「冷静な熱誠さ」(冷静な理性と熱い情念)によって取り組んだ生き方を限りなく重要と思う。
そして教科書裁判の判決時に、行動派右翼からの暗殺テロルから身近に寄り添って家永さんを守るために注意をおこたらなかった古在さんの勇気こそ、「革命的英雄主義」などと安易な虚言をふりまく政党幹部よりも、若い人々に希望を与え続けていくことでしょう。