自ら知識層と名乗る弁護士の山本さんの文章には、興味をもって読みました。しかし読むうちに疑問がわいてきましたので、ひとつずつ意見を添えます。
「科学的社会主義は、以前はマルクス・レーニン主義と呼ばれていました。マルクス・レーニン主義と名づけたのは、おそらくレーニンだろうと思います。」
違いますね。マルクス・レーニン主義と名づけたのはレーニンが死去してからのスターリンが主導権を握った時代になってからです。
「日本共産党は、科学的社会主義を、自由と民主主義の宣言で、国定の哲学とすることを禁じていますが、ソ連では革命当時から、マルクス・レーニン主義を国定の哲学としたのもレーニンだと思います。
だいたい政治上の問題で、自分の名称を00主義とつける場合はあるかもしれませんが、もし自分の名称つけて00主義とした場合、もはや民主主義にならないと私は思います。その人が絶対者になると思われるからです。」
思うという推測を断定の根拠にすることは、きわめて非論理的です。
「レーニンは確かにロシア革命に成功した最大の功労者であるかもしれません。しかし、私は、レーニンは毛沢東と同様に暴力革命論者であることをはっきり認識すべきだと思うのです。」
レーニンも毛沢東もいつのどの時期が暴力革命論者というのでしょうか。暴力・権力・強力など歴史的な概念の相違を無視して、いまの日本の暴力論と同一の言語感覚ではとらえきれません。
毛沢東は文化大革命できわめて専制君主的でしたが、中国革命を山岳を根拠地としながら、困難な情勢を切り開いて成功させた歴史的事業の事実を暴力論だけではとらえきれますまい。
「その暴力体質は革命の成功後も存在し、それは、ニコライ皇帝以下22名の皇族を殺害したことに象徴されていると思うのです。 しかも彼は、信教の自由も認めようとしませんでした。キリスト教だったと思うのですが、著しく迫害ししたことは有名です。」
このあたりは確かに限界はあったと思います。
「レーニンは、自分の思想を国民に崇拝するように強く求めたと思われます。そうでなければ、その死後においても、まるで生きているかのような死体処理やまたいやになってくるほどあるレーニンの銅像はないと思うのです。」
きわめて非論理的ですね。レーニンが崇拝を国民に強要したという歴史的史実をあげてください。レーニンをあのように崇拝させたのは、レーニン死後のソ連共産党の誤謬だと私は考えております。
「レーニンの著作で有名な「唯物論と経験批判論」があります。今、私はレーニンの著作を一冊も読む気がしないのですが、この本は学生時代に、一部読んだ記憶があります。ボルシェビキとかメンシェビキとかマッハ主義が出てきました。そしてボルシェビキはたたえ、メンシェビキとマッハ主義は批判しています。しかしボルシェビキをたたえるのは左翼的であるからたたえるだけでなく、暴力的体質であることもたたえるような気がするのです。そしてこの本は「経験批判論」と名づけられているのでが、何を批判しているのかよく分からないのです。本質的には国民の経験を批判しているのではないかと思います。国民に経験でものを言うなとったら、国民はおそらく皆アホになるだろうと思います。」
経験批判論で批判しているのは、国民の経験!貴方ご自身がマッハ主義をあげているではありませんか。認識論の上での見解を、唯物論的見地から批判したのではなかったでしょうか。
「この本は、今の党の綱領路線についてまったく参考にならないと私は考えています。 」
そうでしょうね。書いてあることを鵜呑みにはできますまい。レーニンがすぐれていたのは、マルクスを鵜呑みにしたからではありません。
後進資本主義国で絶対君主も強力なロシアにおいて、最初の社会主義革命を成就したからです。もちろんいまからみれば、たくさんの批判点や乗り越えるべき点はあります。情勢や社会の変化がかなりありますから、それは当然です。私もレーニンを偶像視すべきではないと思います。
「スターリンは、レーニンのかかる独裁的土壌のなかから、生まれるべくして生まれたと私は思うのです。それは突然変異では決してありません。」
いいえ、レーニンのような民主主義的素養にもかかわらず、スターリンのような独裁が生まれたのがなぜか究明すべきです。
「私の科学的社会主義は、レーニンの思想をすべて除いて、考えたいと思うのです。」
あなたの科学的社会主義に、私はほぼ反対の立場です。
レーニンを除き、スターリン的専制を継承したら、社会は暗黒になっているでしょぅ。さらにいえば、
スターリンだけに責任があるのではないでしょう。偶像崇拝を呼び起こす土壌は、個人の自立と主体的
思考判断のできる民衆を生み出すことが難しかった遅れた社会構成体の問題をも解明すべきでしょう。
以上、私の考えるところを逐一述べました。私は、レーニンよりも岩田義道や宮本顕治、小林多喜二や 山本宣治など日本の指導者の分析を早急に取り組むべき課題と考えております。