投稿する トップページ ヘルプ

「科学的社会主義」討論欄

スバル様 へ:“青写真タブー”に染まっていない人は心強い。

2004/11/08 Forza Giappon 30代

スバル様 へ。
 あなたが党員であるか非党員であるかに関わりなく、とてもアンテナにビビッとく る問題意識を提起してくれたことを、とても嬉しく、また心強く感じました。討論を しない(あるいはできない)青年が殆どになってしまった時代にあって、一条の光を 見出した感じです。
 ぼくが言うのも変かもしれませんが(ぼくは青年です)、最近の青年は市場経済の 負の実態に痛めつけられていても沈黙し盲従する人が多すぎます。タダ働き残業・長 時間労働で声をあげる気力も奪われているのかも知れません。
 逆に、ソ連東欧崩壊の史的教訓を踏まえない、コチコチの“ムード的社会主義信奉” に傾くのも困りますが・・・。

 投稿文で引用のあった『21世紀の経済学』の著者・根井雅弘さん(京大教授)は、 ご指摘のとおり、リベラリストのスタンスから現代の経済を思想史的な側面からアプ ローチなさっていて、10年前から注目している中のひとりです。ただ、いわゆる「イ デオローグ」ではありません。
 スバルさんは「将来的にスパコンの技術進歩によって最大化問題は理論的にクリア し得る」「それによって計画経済実現は可能だ」と自説展開しているようですが、こ とはそう簡単にはいきません。社会主義実現にこそ資本主義の遺産や精神を「有機的 に」活用することは不可欠では、と思います。
 たとえば、消費への「欲望」を考えてみましょう。日本などの資本主義国ではさま ざまな情報媒体から常時、夥しい商品情報が飛び込んできます。頼みもしないのに未 知の企業や団体からダイレクト・メールが郵送されてもきます。
 PCのホームページを開いても欄外に無関係なサラ金CMが載っかる時代です。このよ うに、ぼくたちは否応なしに(たとえ無意識的であるにせよ)、商品情報に接っしざ るをえません。結果的に、潜在的な消費「欲望」を刺激されていないとは言い切れな いのです。
 たとえば、冬物のジャケットが欲しくてデパートへ出掛けたとします。ジャケット 以外にも当然目が向くと思います。経験的にわかるはずですが、ロングシャツや、セー ターなどに目移りして衝動買いすることも結構あるのではないでしょうか。
 書店へ、たとえば月刊『前衛』を買いに行っても、たまたま目に止まった音楽情報 誌とかをついでに購入してしまう人だって、結構いるのではないでしょうか。思いつ くだけでも人間の消費行動が気紛れであることがわかります。
 このように、現代の人間の欲望は予測不可能性と偶然性に満ちています。
 近経(なかでも価格理論の中)に「情報経済学」という分野があります。けれども 消費者の複雑化し錯綜を極める消費欲望をあらかじめ完全把握・予測し得るとは、考 えにくいのではないかと、かつてのゼミ仲間が指摘しています。
 高度な数学を駆使することで消費者行動予測の解析力を高め得ると思いこんでいる 秀才はいるかもしれませんが、数学的様式美を無批判に信仰するそのような姿勢には、 やはり疑問符を抱かざるを得ません(言ってみれば“数学帝国主義”)。
 数学的精緻化が消費者心理を克服し得るとは考えられません。経営学にはマーケティ ングというコースがありますが、これから新しく市場にデビューするであろう夥しい 新商品についての消費者行動予測や消費者心理を読み解くことなんて、殆ど不可能で はないでしょうか。
 それが意外性の高い商品であればあるほど、まったく不可能だと思います。マーケ ティングは過去のデータから分析するからです。未来は解読できないのです。
 ひとくちに「経済学」と言っても多数の学派があります。マル経、近経、更にその どちらにも批判的なニュー・フェイスな経済学も台頭しつつあります。
 すべての学派に精通しているわけではありませんが、今のところ、どの学派も(と 言うことは当然マル経も。)消費「欲望」や消費者行動予測に関し、使えるツールに 到達したとは言い得ないというのが実情ではないでしょうか。
 次に社会主義ではどうでしょうか。
 市場原理導入後の中国や、今のロシアは除外して考えましょう。
 従来の社会主義国では配給する物品のアイテムは当然限られていました。
 徹底した情報統制を敷き得た時代なら、資本主義国の夥しい商品に大衆が気付く心 配もなく、したがって中央計画当局が新たに登場する「かもしれない」商品アイテム につき価格決定する煩雑さも存在しなかったのです。
 時代が時代ですし、入手可能な物品自体が限られていたのですから、大衆がどんな 物を欲しているか考える必要もなかったはずです。
 資本主義国とは異なり、あらゆる情報媒体を通して潜在的消費「欲望」を刺激され る心配なんてなかったわけですから、そもそも中央計画当局が、大衆の潜在的「欲望」 に頭を悩ます必要がなかったのです。
 インターネット社会になったいまは、どんな一党独裁国の指導者であっても、情報 統制など夢想だにし得なくなったことは言うまでもありませんよね。
 どのような社会主義・共産主義の国をめざすにしても、最大化問題や消費者の「欲 望」問題のクリアは、いまだに未解決の未知の領域です。“青写真タブー”に染まっ ていないスバルさん、ぜひそのすばらしい問題意識で研究なさってはいかがですか。
 資本主義の遺産の中から計画経済に必要なファクターはいくつかあると思います。 産業連関分析や投入産出分析(input output analycis)の手法もそれに含まれます。  スバルさんならご存じでしょうが、旧ソ連出身のノーベル賞経済学者にWレオンチェ フがいます。
 旧ソ連・東欧圏出身の経済学者は結構少なくないのですが、透徹した彼らの間では、 あの当時からすでに「資本主義の中から優れた部分だけを社会主義に注入することは 欠かせない」という基本認識は共有していたそうです。
 当時のクレムリンの事情に関しては知識を持ち合わせないのですが、自己保身と情 報統制、人民監視に汲々とするソ連党中央幹部らは、レオンチェフら経済ブレーンや、 党外インテリの提言に耳を貸さなかったことは事実ではないかと思います。
 資本主義国へ留学した優秀な知性が産み出した学問的成果を経済政策に反映させな かったことが裏目に出て、核軍拡超大国に堕落し、1970年代から長期経済停滞を経て、 その後の崩壊を招いた側面は、確かにあると思います。このことは、左の人も右の人 も(そのどちらでもない人も。)銘記しておくべきことではないかと思います。