山村耕作様 レス有り難うございます。
山村耕作隊を連想するハンドルですね。
現場重視のお考えをお持ちの方とお見受けします。
いつも御投稿興味深く拝見しております。
ROM3様の御投稿を拝見して我が恩師原田綱先生がおっしゃっていた、現象学的アプローチにおける,「本質直観は常に正しい」、と言う、御言葉を思い出してます。
わたしの投稿は、直感型ですか? 少しは理論的かと思っていましたが。今読んでいる「モノづくりの極意、人づくりの哲学」という 書のなかに、「正しいことをやるな、感じたことをやれ」という言葉があります。
「現場、現物、現実」に立つということが大切で論理知よりも感覚知の方が大切だと力説される或る会社の社長さんの書いた書です。
ああ、私の生き方、間違っていないなと思っているところです。
私は、ライフワークとして、「戦間期における知識人の転向問題」を研究しており、政治学的アプローチに限定されますが、ファシズムの問題は、避けて通れない課題であり、つたない思考ですが、多少のなりとも私の思考を述べたいと考えます。①ファシズムないし国家社会主義とは何か。
今現在最もファッシズム的な国は、アメリカと、北朝鮮だと思っています。
私は、ファシズムの萌芽はフレキシブルな概念としての「塹壕」にあると考えます。
人が「塹壕」という生と死の極限状況に存在するとき、人のはどこに向かうか、私は、超人思想ないし、絶対的服従に向かうと考えます。
なるほど。アメリカも、北朝鮮も塹壕の中ですね。
これはウエーバーの定義する「エートス」としての日本民族の根本原理としての「支配と服従の我らの内なる天皇制」の分析が必要だと私は考えます。
むつかしい言葉が多いです。内なる天皇制とは、必ずしも天皇でなくともよいということでしょうか?私は、このごろ、旧社会主義もファッシズムの一種と考えています。
スターリンが、ヒットラーに先鞭を付けたのではないかとか、歴史の一段階として、ファッシズム時代があって、さけて通れなかったのかなと思ったりしています。もし、社会主義が生まれなかったら、ファシズムは台頭しただろうかという思いもあります。
資本主義肯定派は、無理をしないだけ、旧社会主義や、ファッシズムより、人間性があったと思います。それも歴史の一こまですが、前記の某社長さんは、20世紀の大量生産型物づくりは、狂っていた。
これからは、量的でなく、質的な共同体型ものづくりでないと発展しないだろうと言っています。日本、アジアを中心とした質的なものづくりが発展して、本当の社会主義が到来するのではないかと楽しみにのんびり構えているわたしです。
論理知ではなく、感覚知をますます得たいと思います。
論理知も否定するものではないけれど、まず、感覚知で得たものを整理するために使います。
又時を経て私の思考を述べたいと思います。
お待ちしています。