再度のレスありがとうございます。
私は、今日では、日本国憲法が相当定着し、これがまた右翼であれ、左翼であれ、また全体主義的思想が台頭し、民主主義が圧殺されることはないと思うのです。
私もそう思います。
すなわち私は、科学的社会主義を学ぶ場合に、レーニンの本を一冊も読みたくないのです。科学的社会主義の古典を学ぶ場合、『資本論』(但し、資本論第2巻と第3巻は、エンゲルスが書いたものとして、読むべきであろうと私は思っています。)と 『空想より科学へ』この2冊で、充分だろうと思うのです。
要するに山本さんは、レーニンは嫌いで、エンゲルスが好きなのですね。
私は、古典は殆ど読みません。読まないけれど、レーニンがどういう役割をしたか、マルクスがどういう役割をしたか、宮本さんがどうだったか、不破さんがどういう役割をしているか、志位さんが、どうしようとしているか、理解しているつもりです。つもりだけで、その分析が正しいか、どうかは保証のかぎりではありませんが、ここに皆様が書かれることをよく読んで、できるだけ正確な分析をしようと思っています。
私たちは、所詮、社会や組織の1個の歯車にしかすぎませんが、ボヤーとして歯車をやっているよりも、全体にとって、どういう役割をしているのか、それを知っていて歯車をやっていなければいけないと思います。
社会や、組織の全部を知る必要は全くないけれど、影響しあう範囲の全体を把握することは大切だと思います。そこで、全体と、全部は違うと思うわけです。
レーニンも、毛沢東も、どういう役割を果たして来たのかは、お嫌いでも理解しておいた方がいいと思います。社会主義全体のために。
最近、また『空想より科学へ』を読み出したのですが、なぜこの2冊だけでいいのか。それはかなり先の話になりますが、いずれ投稿したいと思います。
期待して、お待ちしています。