ROM3様、早速のレス有り難うございます。
私の説明不足により、ROM3様の御理解の為にに多少の説明が必要だと思い、
再レス致します。
?山村耕作というPネームについて。
このPネームは高校時代在籍した、W地区の民商のSさんの
思い出から付けました。
あの時代の事を若い人々に言っても想像も出来ないと思います。
Sさんは、50年の時W大の山村工作隊の、補給活動をされていたそうです。
最後にはお金がなくて、お寺のお供えまで奥多摩へ持って行ったそうです。
ちょうど袴田問題、愛知スパイ問題があり、なんか国際派党中央って変だなと思
っていた時でした。
いずれにせよ、時が過ぎ,非転向のカリスマ支配の政治的神話のメッキが剥げ、
真実が明らかになる時代がきたわけです。
?フレキシブルな概念としての「塹壕」について
戦術としての戦闘隊形として、ローマ時代はファランクスがあり
、中世時代には、テルシオが有り、又ナポレオン時代には、横隊戦術
が有り、南北戦争-長州征伐時代には、散兵戦術があり、火力の増大
により最後は第一次大戦時の様に3つ以上の塹壕線と予備壕を持つ、
塹壕時代がきたわけです。
私が主張したき事とは、マックス.ウエバーが「経済社会」に言うように、その
時代、時代に人の体験により物の見方考え方が理念型として移転されると言う事
なのです。
塹壕の中では或意味、周りの2.3の戦友以外は居ないわけだし、死は確率的に
は、平等な訳です。
その中で、伝統的支配や、官僚的支配は実効性を失い、人はカリスマ支配に服
すると私は考えます。
?支配と服従の我らの内なる天皇制について
小林多喜二や岩田義道らの天皇制国家権力の犠牲者は数多いのですが、それだ
けでは、あの転向の多さと思想検事による転向政策は説明出来ないと思います。
もしかしたら、我々の過去の記憶の中には、天皇的な存在に直に服従する親和力
があるのかもしれません。
そうでなければ、あのような結果に対し責任を取らず、「情勢が厳しいから、み
んなの努力が足りなかった」という、無責任体制が続く訳がないのです。
追伸
我々のエートスとしての内なる天皇制の分析材料として、堀田善衛の
「若き日の詩人たちの肖像」を使用したく今再読中です。
もう少しお待ちください。
山村耕作拝