どうも、トンチンカンな解釈をしてごめんなさい。
あの時代の事を若い人々に言っても想像も出来ないと思います。
Sさんは、50年の時W大の山村工作隊の、補給活動をされていたそうです。
最後にはお金がなくて、お寺のお供えまで奥多摩へ持って行ったそうです。
山村工作隊でしたね。字が間違っていました。佐々木一夫さんが、以前赤旗に連載
小説を書いていましたが、あまり興味がなくて飛び読みでした。
山村工作隊は、言葉だけ知っている程度ですが、なかなか大変だったんでしょうね。
ちょうど袴田問題、愛知スパイ問題があり、なんか国際派党中央って変だなと思って いた時でした。
いずれにせよ、時が過ぎ,非転向のカリスマ支配の政治的神話のメッキが剥げ、真実 が明らかになる時代がきたわけです。
国際派が正しくて、諸派が間違っていた。と、いうように教えられていました。
でもやはり、間違いはあったにせよ。宮本さんは偉大だと私はまだ思っています。
宮本時代は、バイバイゲームで日本共産党は大きくなりました。不破時代になって、
しぼんで来ました。
それは哲学を捨ててしまったからだと私は思います。
私が主張したき事とは、マックス.ウエバーが「経済社会」に言うように、その時代、 時代に人の体験により物の見方考え方が理念型として移転されると言う事なのです。
理念型として移転・・・ちょっとむつかしくて理解できません。物の見方考え方っ て、そんなに変化するものですか。釈迦もキリストも今日でも役だっていると思いま すが。
塹壕の中では或意味、周りの2.3の戦友以外は居ないわけだし、死は確率的には、 平等な訳です。
その中で、伝統的支配や、官僚的支配は実効性を失い、人はカリスマ支配に服すると 私は考えます。
塹壕の中の2,3人でも、部隊全体を代表する2,3人ではないでしょうか。2,
3人で戦争を始めたわけではないので、大きな部隊の命令の中の2,3人だと思いま
す。班長にカリスマ性が必要でしょうが、全部隊との関連の下での行動だと思います
が。
全部隊の動きをよく熟知していないと、2,3人の小隊としても有効な動きは取れ
ないと思います。勝手な動きをしたらそれこそ敗残兵になってしまうでしょう。
?支配と服従の我らの内なる天皇制について
小林多喜二や岩田義道らの天皇制国家権力の犠牲者は数多いのですが、それだけで は、あの転向の多さと思想検事による転向政策は説明出来ないと思います。もしかし たら、我々の過去の記憶の中には、天皇的な存在に直に服従する親和力があるのかも しれません。
時代の制約からは、右も左も逃れられないということはあると思います。日本共産
党が官僚主義であったのは、日本社会全体が官僚主義時代であったことと深く結びつ
いていると思います。
あのバブル時代、政治は2流、官僚は1流と、官僚がもてはやされていました。
そうでなければ、あのような結果に対し責任を取らず、「情勢が厳しいから、みんな の努力が足りなかった」という、無責任体制が続く訳がないのです。
おっしゃるように戦中の良い子が党員になっているので、お上の無謀を許す体質に なっています。2,30年前には、党のために死ねと平気でいう人がいました。
まったく無意味な無理な活動のために死ねと私も何度か言われました。「死んでた まるか」と、言い返しましたけれども、そういうことを言った当人は、のうのうと生 きている。そのかわり無理な活動で奥さんを死なせてしまった。そしたら、葬式で、 わんわん男泣きをしていました。私が死んでも泣かないだろうなーと思いました。