「シュレディンガーの猫がいっぱい」和田澄夫著(河出書房新社)
いわゆる「科学的社会主義」の立場から書かれた本ではないのですが、「相対性理
論」と量子力学の「不確定性原理」=(粒子の「位置の不確かさ」かける「速度の不確
かさ」かける「質量」が「プランク定数」よりも小さくすることができないすなわち
「粒子の位置と速度が同時に正確に決定していることは決してない」)について私な
んかは、「機械論的自然観」や「決定論的自然観」は大きな打撃を受けたと誤解して
いました。
「コペンハーゲン解釈」=粒子の位置を観測すると、粒子の波は確率的にさまざま
な場所に収縮する。「あなたが月を眺める時にだけ月はそこに実在する。」ボーア
「観測がなければ存在は無い」パウリでなく、「多世界的解釈」によれば、人間でさ
えも、驚くべきほど複雑なシステムではあるが、物質から構成されているという意味
では多の物体と同じであるということを明らかにした。
したがって、その人間の意識したものだけが実在だというのは、人間に量子力学の
基本法則を超えた位置えお与えるという意味で、合理的ではない。
物質のふるまいについての最も根源的な部分の量子論で、実在論的見方のほうが整
合性がある。
ということだそうです。