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「科学的社会主義」討論欄

12.12 山本さまへ

2004/12/15 ロム3

 山本進 さん、レス有り難うございます。

信教の自由という人権を認めない党の行く末は。

 ということですが、日本共産党は宗教を否定していないと思います。不破さんは、 宗教者と懇談したり、以前は、日本山妙法寺とかいう宗派のお坊さんが黄色の衣を着 て、太鼓をたたきながら、数々のデモで日本共産党と共闘していたのを記憶していま す。

 ただ、マルクス主義の政党なのだから、マルクス主義の哲学「弁証法的唯物論」を もっとひろめればよいと思います。
 科学的社会主義という訳の分からない言葉でごまかさないでほしいと思います。

 宮本時代には、弁証法的唯物論は機能していたのですが、不破さんが理論を独り占 めするようになってから、党内から消えてしまったのです。弁証法的唯物論を党の理 論の根幹に据えることと、個々の党員が宗教心を持つということとは、全く別の問題 だと思います。たとえば、創価学会信者であっても、党から排除するべきではないで しょうが、公明党員であれば排除すべきです。

私は哲学の学問を否定しているわけではありません。スコラ哲学でも、実存主義・構 造主義の哲学でも学習したいのであればしたらいい。いわゆる科学的社会主義の哲学 でも、これと同様だと私はいいたいのです。

 他の哲学を学び研究することは自由でしょう、それでもって、弁証法的唯物論の優 位性を確認したり、或いは、不足を補うことが出来るとすばらしいと思います。

私は、レーニンの3つの源泉と3つの構成部分というのは誤りだと思っています。

 レーニンでなく、マルクスではないのですか?

私は弁護士をしていますが、法律学をよく学びます。しかし、この法律学を学ぶこと が科学的社会主義の源泉になったり、構成部分になんだろうということなのです。理 論物理学でもまったく同様です。

 何のことだかよくわかりません。

そして、そこでは、いわゆる哲学をひとつの大きな項目というか、単位として教えて いました。レーニンの構成と同様です。

 レーニンは、哲学の徒ではなく、実践者だと思います。

 日本共産党は、哲学よりも、実践論に重きを置いてしまった。それが誤りだと私は 思うのです。確かに政治は実践ですが、生き物です。論でうごくのではなく、生身の 人間で動くのです。生身の人間には、政治学よりも、哲学が大切です。

 革命をどうとらえるかが重要だと思います。マルクス・エンゲルス流にとらえるか、 レーニン流にとらえるか。日本共産党はレーニン流にとらえているのです。特に不破 さんは。レーニンの嫌いな山本さんが、なぜ、不破さんを慕っていられるのか、理解 に苦しんでいます。

そこでは、唯物論と観念論を対比させて、唯物論を正しいとしています。しかしなぜ 唯物論が正しいのか、私の理解力では解からなかったのです。あたかも宗教を信じる が如くに唯物論が正しいと論じているものでしかありえないと私は思いました。

 唯物論こそが、科学だと思います。観念論が科学といえるでしょうか。ハードとソ フトの違いだと思います。ハードなくして、ソフトはあり得ないと思います。

もうひとつは、宗教の問題なのです。唯物論の立場では、宗教を否定するようです。 重要な問題は、実はここにあると思っています。党員だって信教の自由はあるだろう。 ある宗教の信者が党に入党してもかまわんだろう。しかしこれが唯物論の立場では、 否定するようなのです。これは人権侵害だと私は言わざるを得ないのではないかと思 うのです。

 現実にこの世にある、あらゆるものを否定できないと思います。宗教をハードとし て認めないだけです。ソフトとしてなら認めます。

弁証法は、哲学の問題はではなく、私は自然科学の問題だと思っています。

 弁証法的観念論というのもありますからね。弁証法こそ、考え方の問題であって、 自然科学は、唯物論の方だと思います。