N.K様へ。
N.K様、はじめまして。文面から察するかぎりでは、ぼくとは違い、レーニン哲学 や革命理論に親しんでおられるようですね。その際、特殊日本的とも言い得る、“悪 しき訓古解釈学”を排しプラグマティックにアプローチなさろうとするスタンスには 共感しています。
なにしろソ連東欧崩壊から約15年です。いまやロシアも中国も「移行経済」体制諸
国として、資本主義諸国を凌駕すべく(?)再生期の真っ只中にあると言われていま
すが、早くも明暗を分けていますよね。
ロシアはワシントン・コンセンサスの思惑に忠実に資本主義化を急ぎすぎたためか、
経済成長率の回復どころか、社会的共通資本の整備すら進められなくなっているよう
です。
そればかりでなく、失業率の急上昇や、ストリート・チルドレン、ホームレスの増
加など、社会の安定性そのものが大きく揺らいでいるそうです。
プーチン政権らによる、イスラム系民族への「むき出しの強権政策」は、「暴力の
連鎖」という逆スパイラル過程(≒いわば「負の拡大再生産」)に同国を陥れてしま
うのではないか、と批判を浴びています。
(今年9月にロシア域内・北オセチア共和国で発生した学校内児童大量人質殺害テロ
は、世界史上最悪の結末になりましたが、いまだ記憶に生々しいものです。)ロシア
域内イスラム系諸民族への強権政策は、実はスターリン時代にまで遡れるほど根の深
い問題でもあるそうです。
長く「東の」軍事超大国として“君臨”した旧ソ連(現ロシア)は、冷戦が終わっ
ても平和の配当という恩恵に浴せないままです。あまりにも長く続きすぎた軍事礼賛
の気質や経済体質をロシア国内から払拭するには、「やはりグローバリズムは無力で
はないか!」との冷静な議論が論壇に見られるようになりつつあります。
興味深いことに、主流派経済学者や新古典派の学者らの中にも、「ロシアに資本主義
を注入するには、経済体制転換以前のさまざまな問題が多々ある」ことに気付く者が
出始めてもいます。。
ヘドリック・スミスや、エレーヌ・K・ダンコースら良心的な論客が現在のロシア
を観たら、彼らの予測どおりの疲弊し荒廃しきったありさまに「やっぱり」と頷きつ
つも、心を痛めるのではないでしょうか。
(参考:スミスは冷戦真っ只中の1970年代、綿密なフィールドワークによってソ連の
「闇」の部分を白日の下にさらけ出した実力派の国際政経ジャーナリスト。ダンコー
スは、1980年代後半に大著『パックス・ソビエティカ』を上梓した博覧強記な社会学
者で、経済の実証分析にも強い。現在、無党派的リベラルな大学教授でもある。著書・
論文は膨大。)
本題に移ります。
ぼくのお伝えしたいメッセージが思わぬ誤解を招く結果になったようですが、こち
らの表記上の配慮があるいは不足気味だったかもしれません。が、それだからといっ
て適切な、且つ、どなたにも了解できる表記法が他にあるかといえば、意見が分かれ
るのではないでしょうか?
N.Kさんに対する返答を述べさせていただけば、今回の題名にあるとおり、「マル
経・近経」なる二項対立構図は、あくまで便宜を考えたうえでの表記です。マルクス
学に造詣の深い方々(このサイトに力作を寄せられる過半数の執筆者。)には、ある
いは、そのような表記の方が通じやすいのではないか?と判断し、そのように表記す
るようにしています。
ぼく自身、経済学は殆ど「非マル経」を学んできたため、また、ここ1~2年、マル
経をビギナーとして学び始めたばかりだということもあって、そのような分け方を敢
えてしています。(マル経ビギナーですが、お陰さまで、同志達と共に、勤通大でも
受講させていただいています。)
というわけで、このサイトで書くようになって以来、敢えて「マル経・近経」とい
う表記を意識しているにすぎません。もし、N.Kさんの方でグッド・アイディアがあ
りましたら、どうか遠慮なくオルタナティヴ(代替表記案)を寄せてくださればあり
がたいです。
N.Kさんは若干、誤解なさっているようなので付言しますと、実はいまでもこの二
項対立で両派を分けるというのは、関連学界の中で、ごく一部ですが習慣として残っ
ているそうです。
ノーベル経済学賞に最も近い日本人だといわれる(ぼくもそう思います。)森嶋通
夫(ロンドン大学名誉教授。Ph.D。数理経済学。)でさえ、かつての著書中では同様
な表記をなさっていた記憶があります。お住まいのエリアに図書館があるはずなので、
N.Kさんも気が向いたら森嶋教授の著書をひもといて確認してみることをお奨めしま
す。
近経の分析前提とする合理的経済人仮説や市場均衡なる概念は、1970年代末期頃か
らのケインズ派の相対的退潮に呼応するかのように再び猛威をふるうようになったと
言われています。
既にお気付きか、と思いますが、主流派経済学における均衡という考え方は、或る
時点におけるあくまで瞬間的・静態的な条件下でのみ成立する(「ように見えるのだ」
とみなす。他の要素はニグレクトしてしまう。)にとどまり、したがって、動態的な
外性変数を視野に加えると殆ど無力でしかないのです。
主流派の弱点は、環境問題へのアプローチにもはっきりと見受けられると思います。
なにしろ、公害問題や環境破壊、幸福追求の経済学などの地球規模のHot issueを外
部不経済や社会的費用として軽視し、単なる「付け足し」のような扱いしかできてい
ません。
失業や不安定被雇用者の激増問題に至っては、「市場機構が適切に作用していくう
ちに減少に向かうであろう」などといった他人事のような希望的観測(?)でお茶を
濁す醜態ぶりです。
所詮、公害・環境問題や失業・不安定被雇用者激増問題などは、主流派にとって
「与件」でしかないのでしょう。ここに主流派の限界は明らかです。
いよいよマル経やポスト・ケインジアン左派(ミルゲイツなど。)や非主流派諸経
済学の出番ではないですか。もとより「限定合理性」を自覚し、数学的様式美の弊害
を他山の石と批判できる学派ならという条件付きで、主流派「出身者」をも歓迎した
方が或いは良いかもしれませんね。
詳しくは日をあらためてサイト上討論したいと思います。
いまは主流派の新古典派総合の経済学(マネタリストや合理的期待形成学派、リア
ルビジネスサイクルの経済学などなど。)と、政治的には新保守主義派が大きな顔を
する不幸な時代ですが、これは当然ながら、マル経にとって大きな逆境です。
マル経ばかりでなく、ケインズ派(といっても多種多様ですが。)や諸制度派経済
学から見ても、これは憂慮しなければならない現実です。ぼくから見れば、双方(マ
ル経と近経)がいまだに相互交流をかたくなに拒絶したままという実態を実に残念に
感じているところです。
それぞれの派がそれぞれの経済学の「限界」を意識しつつ、「良いところを取り入
れ、欠陥部分はいさぎよく棄てる」アクチュアルな態度で相互交流する必要性に早く
気付いてほしいとぼくは強く思うのです。
N.Kさんの問題関心で、意味把握ができなかった点を最後に一つ。ぼくの理解不足 かもしれませんが、意味把握できなかった箇所を引用しておきます。マル経ビギナー に理解しうるように教示いただけませんか?。
2004年11月07日付け.の投稿文の文末から3行目
…マルクス主義が…(中略)…その思想の反民主主義的・反人権的萌芽が通底してい ることを原理的に考えることも大切だと…(後略)…。