お久しぶりです。
いつも、ご投稿楽しみに拝見しています。
さて、堀田善衛の「若き日の詩人達の肖像」を使い「我らの内なる支配と服従
の天皇制」の分析をする前に、限定的で恐縮ですが、「フェアプレイの精神」に
のっとり私の立場と、堀田善衛という小説家の説明をさせて頂きます。
私はよく自問自答するのです。
ベンチャー経営者とか青年実業家と言われると(どう見ても中年の超零細土建
屋)ですが、なぜ活動をしているのかと。
私は、自分の為に自分の金と自分の時間を使って、趣味として活動しているの
です。
およそ人としての人生の最大の喜びは、自分の立てた仮説が証明されることだ
と、私は考えます。
ソ連邦の崩壊、中国の資本主義化、党のアメリカ共産党化、人として、政治学
徒として、マルクス主義者として、自分の短い人生の中で、自分の立てた仮説が
証明されたわけで、又今の私の経営戦略は有る意味、マルクスで金儲けをしてし
ているわけで、おまえは、この超資本主義のプチ帝国「日本」で消費という極限
の快楽の何が不満なのか。
私はじっと夜考えるのです。
その理由は「自分が楽しく無いからだ」と言うことです。
今の支配階級はかっての田中角栄先生の様に、「困っている庶民を助ける」と
いう使命感と喜びは無いわけで、そのような人たちと付き合っても全然楽しく無
いのです。
私は自分の為に生き自分の為に活動している自己中人間な訳で、その様な立場
なのを御配慮ください。
さて堀田善衛1918年富山県伏木生まれ、1999年死去、代表作「ゴヤ」
「海鳴りの底から」「時間」「歴史」「広場の孤独」「路上の人」「方丈記私
記」等多数にわたるわけで、戦争と革命の20世紀を中世と対比しながら鋭い分
析をしています。
もちろん実践活動もベ平連、AA作家会議等で行っています。
キーワードは「神」「芸術」「自立した個人」「自由]です。
この中には「党」は有りません。
とりとめの無いことを述べてしまいましたが,今回はこのぐらいで。
追伸、お身体をお大事に。
山村耕作拝