ROM3様お久しぶりです。
お元気にお過ごしておられるようで、何時も御投稿楽しみに拝見しています。
私を含め私の上の世代が消滅しないと、新しい運動は生まれてこなかな、と考える毎日です。
さて、本題の堀田前衛の「若き日の詩人たちの肖像」のをテキストとして「我らの内なる支配と服従の天皇制」の私のむ思考述べたいと考えます。
時期は1936年2月26日から1945年3月10日迄です。
実は、この「若き日の詩人たちの肖像」は、多数派壊滅後の左翼人士の活動を克明に記録しているのです。
とりあえず主な登場人物の説明を致します。
1.従兄弟 野口務 京大学連事件後転向、警視庁勤務、その後読売巨人軍勤務。
2.大岡山の共産党。 「伊東律」、有名な人ですね。
3.大岡山の共産党の奥さん。「伊東キミ子」、バス車掌さん。結構重要な役割です。
4.山田喜太郎、「和田喜太郎」、京浜労働者グループの理論的指導者、横浜事件で獄死。
5.マドンナ、人形劇団「プーク」の団員、25年に渡る私の探査によっても、本名不明。
近衛上奏文を読んで解るように、党壊滅後も、存在論的左翼は、まさに存在として、活動していたわけだし、じゃがいもの味噌汁食べていた、人より支配階級には脅威だったことが、この本を読むとわかります。
私なら、どこか田舎でじっとして居たのに、この人たちは、死を覚悟して活動していたのか、何時も疑問に考えて居ました。
又時を経て私なりの考えを申し上げたいと思います。
この本は集英社文庫で手に入ります。
では又時を経て存在論的左翼の思考を申し上げます。
寒さ激しき折、お体にご注意を。
山村耕作拝。