「何を 今さら」と感じる向きが多いかもしれないが、あらためて「科学的に考える」とは何なのか、「自然を科学するとはどういうことか」「科学的」社会主義とは何か(又はどうあるべきか)について、どなたか教示していただけたらありがたい。言い古され、手垢のついたイディオムの類いとみなされがちだが、世紀も改まったことだし、多角的切口から再検討する意味は充分あると思う。機は熟しているはずだ。
できれば、党中央公式見解とは異なった非党派的・非政治的コンテクストで語られていれば、大歓迎。
科学的社会主義について、或るベテラン党員がさも自信ありそうに、ただ単に「そりゃあ マルクス・レーニン主義を現代風に意訳したんだよ」と語っていたことがある。でもそれでは、ぼくら青年層は共感できない(何年か前に地区党青年専従者として突如引き抜かれていった、コチコチの教条派女性同盟員を例外として)。
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諸外国の社会主義政権が自国の人民に「真の人間解放」を与えてきたとは、お世辞にも言えず、冷戦終結後に旧ソ連圏のすさまじい人権侵害や夥しい官僚腐敗など新資料・史料が続々と発掘され、結果的にではあれ新保守主義陣営に新たな反共素材を与えている惨状なだけに、尚更なのである。
ロシアを除くヨーロッパ全土の中で共産党が政権参加している国がモルドヴァ共和国たった1ヶ国になった事実も、なにか複雑な思いにさせられる。
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マルクスらのほぼ同時代人にはフロイト、Mヴェーバー、ニーチェなど決して軽視できない「知の巨星」がいるはずだ。その前後にもユング、カント、スピノザ、デカルト、ルター、ヘーゲル、リカードなどなど、やはりマルクス系を相対的に理解するうえでの前提になりうる知識人系譜は少なくないと思う。マキャヴェッリやジョン・ロックにしても、反面教師扱いでもいいから、選択必修書目に加えたほうがむしろ好結果につながらないだろうか。
だが、党推奨文献の中に前掲知識人の作品は皆無なのだ。わずかに入門解説書のあるのはヘーゲルぐらい。民主出版系書店を訪ねてみても常備書目には、やはりなかった(店主さん曰く「近年は民青の子っち、あんまり買い求めに来ないなあ。大学生協店辺りで買ってるだかねー」とやはりさびしそうな様子。まあぼく自身、党や同盟が推奨しそうもない傾向の本を好むので、民主書店に行くときは肩身が狭い ;(__);)。
自然科学の歴史が弁証法的に発展し、進化論がそれを雄弁に物語っていること自体は、大筋では誰も異論はないだろう(断続平衡説や突然変異説、中立説(中立説提唱者は、故・木村資生氏. イギリス遺伝学会名誉会員)はダーウィン進化論に補正を加えた(?)面で貢献したことは、けっこう広く知られていると思う)。
だが、森羅万象の事どもすべてを「科学的に」検証したり解析できはしない。従妹に農学者の卵がいるが、生命科学という分野にしても「いったい、《命》とは何か? 生命現象の本質とは?」に関して根源的レベルから答え得ているとは言えないのではないか、何度科学実験を繰り返してもこんな根源的な疑問というか違和感は消えないんだ と、彼がこぼしていたことがある。
また、科学至上無謬思考に陥るのはとてもリスキーだと思うほかない。アインシュタインやオッペンハイマーを例にとっても、核爆発技術の完成と彼らの深い関係性という見地から厳しい目で再検討を加える余地がやはり大きいのではないか? 旧ソ連水爆の父サハロフ博士にしても、政治的市民的自由へのこだわりは評価しても、核技術との負の関係では厳しく断罪される必要があるように感じられる。
前世紀に トマス・クーンが見事に喝破したように、「純粋自然科学と言えど、その科学理論が生まれた時代文脈なり背景などと無縁ではありえない」とし、倫理やひろく「精神世界」の分野についても無関心であることは許されないと博覧強記さと慧眼でもって世界の科学界に警鐘を発していた(科学哲学入門テキストで学説紹介のあったトマス・クーンやカール・ポパーに鮮烈な印象を受けた記憶はなつかしい。)が、トマス・クーンの思考は左右を問わず認識しておかねばならないと思われる。
ともあれ、科学を「至上で無謬だ」と“信仰”してしまうと、地球温暖化やダイオキシン問題はもとより、原子力発電の危険性や核廃棄物の軍事転用などなどを軽視する態度につながりやすいことは確かだろう(イラクにおける劣化ウラン弾被曝の惨状を見よ!)。
また、遺伝子診断・遺伝子操作・激増したハイティーンの妊娠中絶とそれがもたらす望まない胎児殺し・代理母出産・試験管ベビー・臓器移植・延命治療・不必要なまでの動物実験(バイオ・エティックス) などなど、これらは「進化しすぎた」科学技術の産物なのかもしれない(マルクス派の方々からは「制御できない資本主義の構造的欠陥がもたらす、必然的な産物なのだよ」と指摘されるのだろうか)。
「不破氏は東大・物理学科卒の大秀才だ」と周囲のイエスマン党員から何度か聞かされたが、著作群(ほとんどが党中央推奨文献!)をひもとくかぎりでは科学を礼賛することは熱心でも、負の側面からのアプローチはゼロに近い。近未来の民青同盟員候補の子たちのことを考えると、バランス感覚にすぐれた「科学的」執筆者に替えてほしいというのが本音だ。
いずれにしろ、科学の功罪とか、科学のさまざまな負の側面を倫理的に考えると言うと、「それは哲学者や文系人間のやることであって、科学者の領分ではない」とタカをくくることが許される時代だと思っているのだろうか? 人文社会系の人だけでなく、医師など医療衛生系専門職になりたい人、科学者やエンジニアの道をめざす人こそ「科学とは何なのか」、自然科学のみならず「社会科学とはどうあるべきか」について、常に真剣に意識し続けていてほしいと思う。
「科学技術公害」というもの――魔物――は、同盟員や左翼党員だからといって避けて通り過ぎてはくれない。
その意味で、民青中央幹部級の人達に注文したい。これから民青に入ってくる子たちに対しこの種の知的欲求に充分応えうるようにカリキュラムのリニューアルなど対応を講じて欲しい。ユニークな学習ビデオとかもあると嬉しい。
いままでの硬直した「科学的」社会主義を相対的に見つめ直したり異論が出てくる可能性を恐れないでほしいのだ。異論を表出する人は問題意識をもっている証拠なのだし、愛すべき^^存在だ。間違っても邪険に接してほしくない。
ひいては組織として「風通しの良さ」にまで資することになれば、クチコミで同盟員が増えるかもしれないのだし(ホントにそうなればウレシイ悲鳴なのだけど ;(^^);)。
べつに科学オンチの負け惜しみで言っているのではないことをお忘れなくm(__)m。