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「科学的社会主義」討論欄

お返事

2005/05/13 人文学徒

ロム3様

横レスではありませんのでご心配なく。ここは討論の広場であって、誰が誰の提起にレスしても良い、いやそれが望ましい所のはずと、大歓迎です。
 さて、僕は「左の左(もしくは右)」という言葉二つですが、投稿当初から頻繁に用いてきました。愚等虫さんには批判されましたし、他の方からもレッテル貼りと言われたこともあります。ですが、説明すれば広く、根本的な所まで行かないと終わらないことなので、まー今までは「分かるでしょう?」と扱ってきました。今日は説明します。最近のここの風潮を見ると、「奥田氏論議」と同様これをやるのが望ましいと思いますので。

 現代社会で、しかもこの掲示板では、「左の中の右左」という場合の基準はマルクス主義でしょう。(この掲示板ではマルクス主義しかしゃべってはいけないと言っているわけでは全くありませんよ。僕は右左をこのように使うということを語ろうとしているだけです。念のために。) これより前の例えばフランス革命などでの「革命派」、「急進派」とか、マルクス主義が十分に伝わっていない所やこれと関係ない所での「保守対革新」、「与党対野党」、または「新か旧か」とかはこの場合問題にしていないということです。
 次にマルクス主義陣営でこういう論議が出る局面とか、その時によく使われる言葉とかを考えてみましょう。世界的にマルクス主義の主要概念理解がかなり広く一致しているような時には、これを崩そうとする人々は経験主義とか右の修正主義とか呼ばれます。こんな時の対する概念は多分、「科学」とか「唯物論」とかなのでしょうね。
 概念を守る方が真の左翼だというわけでしょう。レーニンが「唯物論と経験批判論」を書いた時の、この「唯物論」がこれに当たります。二つ目の局面は世界史的に新しい状況が生まれその状況にマルクス主義を適用し直そうという風潮が主流になってくるとそのマルクス主義概念も変わってくるというそういう時です。レーニンが「独占」と「帝国主義」という概念などを新たに生み出した時ですね。今度は世界解釈概念を変えた方が真の左翼で、古い自由競争だけの人々は教条主義と言われるはずです。
 なお、以上のことは、レーニンが正しいという前提で物を言っているわけではありません。人間の世界把握と時代や情勢との変化の絡みあいという人間認識の最も難しい局面において、いつでも起ってくる根本的問題の比喩としてレーニンを例にとっただけです。
 さて現在の世界はどっちの局面なのでしょうか。当然後者が要請されている時代ですね。東欧体制が崩れ、国家独占どころか世界金融独占主流のグローバリズムの時代なんですから。でもこれらを食らい込んだ新しい、広く一致した理論はまだ生まれていません。マルクス主義陣営には、その旧概念しか存在しない時代と言えるでしょう。
 こういう時には古い概念の方に重きを置く人がレーニンの先述のような「唯物論」を気取って「我こそ左」と言い、その対立者からは「教条主義」と言われるでしょうし、状況の方を重視する人はまー「状況への理論適応模索の時代だ」と悩んでいてその対立者からは「原則を捨てるのか、右翼修正主義者め」と言われることでしょう。
 僕が「自分は左の右です」という時は、ちょっと皮肉を込めてこの最後の「右翼修正主義」を指しているわけです。「民主集中制」はもちろん、「客観情勢中心の『窮乏革命論』」同じく「近く客観的革命情勢が必ず来て、人々の怒りが燎原の火のように広がる時が来るだろう」なんてことも信じないどころか、「土台のことをどう穿ってみても社会を変える理論なんか出てこない、上部構造の方から逆に土台を見なきゃいかん時代でしょう」なんて言ってるわけですし。
 とまー僕の「左の右」とは、こんなことなのでした。これ全て、伝わる方には伝わっていたはずです。