paulさん、お久しぶりです。お元気で研究されていることと思います(^^)。
ぼくは再びこのところの諸般の青年イベントなどでとても忙しくなっていま
す(;T_T;)。なので、すぐに意向に沿った返答ができるとはいえない状況にあります。
こうしてパソコンを開いている今も、忙しい合い間を縫ってのあわただしい執筆で
す;;。その点どうかご諒承ください。
人文学徒さんから御要請?(科学的社会主義欄05年5月4日付)のあった一連のテー
マ(「哲学不要論」「科学的とは何か」「科学とイデオロギー」etc etc・・・)で
すが、「趣旨」とは違うベクトルを向いてしまっているのではないか?とぼくはひそ
かに不安(?)な気持ちで今まで書き連ねてきました。
そこでぼくなりの基本的スタンスを再確認しておきます。必ずしも、党派的・政治
的なコンテクストではなく、科学・非科学・イデオロギーの峻別問題を、なるべく多
くの良心的好奇心あふれる方々と自由闊達に討論しうる場であってほしいとの、ぼく
なりの基本スタンスなのですが。
科学的アプローチとは、検証や実験が可能で、時間や場所を問わず、予め厳格に定
められ当該学界で公式に認定された方法に則ってなされるかぎり、それが証明可能な
対象であればそれが何であれ科学的探究と言っていいのではないかとぼくは思います。
また、おこがましいようですがぼく自身は無神論者ではありません。だからと言う わけではないのですが、世界宗教の各宗教者の方々にも、ぜひ積極的な討論参加をお 願い致したいと考えています(※世界宗教=仏教諸派、カトリック、プロテスタント 諸派、聖公会派、ギリシア正教、ヒンドゥー教、イスラーム教諸派)。とても贅沢な、 あるいは見方によっては荒唐無稽な提言に感じるかもしれませんが、《科学と宗教の 対立(とその邂逅)》といった歴史の荒波を掻い潜ってきた経緯を視野に入れると、 どうしても長年の宗教者の科学観(場合によっては「宇宙観」?)を無視したくない のです。無神論者の方々には申しわけないのですがm(__)m。
paulさんご指摘の「反証可能性」Kポパーについてですが、拙稿(2005/4/26)で少 し言及した点についてのことでしょうか? それとも「科学と非科学の峻別」、「科 学の境界設定」、「帰納主義的科学観に対する仮説主義」、「批判的合理主義の科学 論における表明」のことを言われたのでしょうか? 久々に経済学者(ロビンソン) の名を出されましたが、それとの対比を企図されての意味でしょうか?
J・ロビンソン女史(1983年、物故)については、1955年頃は経済理論の中のプロ パガンダ的な部分と科学的なそれを明確に分け、加えて《その学者のイデオロギーが 気に入らないからといってその理論から学ぶことを拒むような(偏狭な)態度はとら ない》ことを宣明していた、と学んだ記憶があります。同女史は1960年代初頭頃は 『経済学の考え方』(邦題。日本語版初刷は1966年、岩波書店。)中でポパーの所説 に賛意を表していたと伝えられますが、経済理論面におけるバランス感覚と鋭敏さに 敬意を表したい社会科学者のひとりです。「ノーベル経済学賞はノーベル賞に値しな い」と一刀両断したのかどうかはぼくは知りませんが。
ただ、老年期は中国文化大革命を肯定的に評価していたそうで(肯定に至った経緯 がどうであれ)、その一点だけはとても残念だとぼくは思います。