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「科学的社会主義」討論欄

再びレーニン批判

2005/05/17 山本進 40代 知識層(弁護士)

 レーニンがした革命は、毛沢東と同じで暴力革命です。これは歴然たる事実です。
 マルクス・レーニン主義を国定の哲学としたのも事実上レーニンだと思います。
 これは創価学会の池田大作が政権をとったようなものだと私は思います。ロシア国民が主人公ではなく、ソ連共産党を一党独裁とし、共産党が主人公のようになってしまったからだと私には思われるからです。
 一党独裁、これが暴力革命とともに、歴史上の最大の誤りであるにもかかわらず、日本共産党もこの点についての明確な批判をしていないのではないかと思います。よく共産党は一党独裁だからな、とよく言われることがありますが、この点について明確な説明を私はできないからです。分派だったとはいえ、日本共産党も暴力革命や独裁革命を表明したことがあったからです。
 レーニンが創価学会の池田大作みたいだというのは、あのすさまじい個人崇拝を見ればあきらかだと思うのです。それは、いやになってくるほどあるレーニンの銅像を一見しただけで充分だと思っています。もし宮本さんや不和さんが死ねば、各都道府県毎に彼の銅像を立てなければならないのでしょうか。
 しかもレーニンの場合はとても非科学的な死体処理をしています。まるで生きているような死体処理です。
 レーニンの独裁主義。これがスターリンを産んだのは確かなのであって、私はスターリンは突然変異ではなく、生まれるべくして生まれたと思っています。行き着く先は、囚人労働のような徹底した搾取です。
 私は、科学的社会主義について、いろいろな学習をし、またしようと思っていますが、レーニンの本は一冊も読まないと決めています。暴力革命もしたくないし、また個人崇拝もしたくないからです。だから不破があんなに長々と『レーニンと資本論』という本を出版したのは愚の骨頂だと思えてしょうがないのです。また彼の『科学の目』という著作も私には『馬鹿の目』のように見える。学習の必要はないと私は思えるのです。
 この点に関して、読んでもいないのに批判などするなという意見があります。そう人は僕には、例えば自民党の小泉政治を批判する場合に小泉の発言をすべて聞かないと批判をしてはならないという発言とよく似ていると思います。これは、例えばマルサスの『人口論』を批判するのと同様のことだと思ってください。『人口論』を読んでいないからといって、それを批判してはいけないと言うことにはならないでしょう。だから『科学の目』を、私は読まないで、批判してまったくかまわないと思っています。(この「科学」というのはほとんど哲学と同義語であると私には思われます。また、哲学不要論をとる私の立場からは、むしろ読まないで批判することが重要なのです。)
 レーニンの科学的社会主義がなぜおかしいのか。それは、党内の表現の自由に関する党規約にはっきりと現れていると私には思えるからです。いたるところで下部党員の表現の自由を規制しています。2000年の党規約の改正は、まさしく不破が中心となって、「改正」したことは間違いないからです。これは主にレーニンの哲学による表現の自由の規制なのだと私ははっきり思います。一党独裁だからです。すなわち今のままでは、本音では党は表現の自由という人権の保障を実はしたくないのです。
 最後に、学習に関して、私は党中央に、独習指定文献の廃止を求めたいと思います。ここにはいくつかのレーニンの著作が入っているからであり、またおよそ学習というものは学習者自らが主体的にすべきであって、指定をするというのは、その主体性に親しまないと考えるからです。個人的に学ぶのであればそれは問題ないでしょう。
 しかし、独習指定文献にまで掲げて、暴力革命家であったレーニンを学ばせるというのは、それは異端であるばかりか、私は危険でもあると思うのです。