階級の意志を、ある特定の党や党派の思い通りに出来ると言う思想は「民主集
中制」のもたらした幻想である。労働者階級は、生産手段を所有しない奴隷階級であ
るがために、あらゆる党や党派から自由な階級である。所有する階級の意志は、その
所有を確保するために、その階級を代表する党に所有される。労働者階級は己以外に
所有するものが無いために、あらゆる党や党派から所有されない自由な階級である。
この階級の意志を所有しようとすれば、忽ちのうちに見捨てられるだろう。労働者階
級から見捨てられた責任を、ブルジョワとこの階級の責任にするのは、筋違いである。
己の知性の欠如か、またはこの階級の上に君臨しようとするセクト主義が原因である。
労働者階級は、本質的に民主主義を志向する。民主主義の原理こそが、彼らを社会の
主役に押し上げ、彼らを奴隷階級から開放できるからである。労働者階級を指導でき
る知性は、民主集中制というセクト主義・官僚主義ではなく、階級の統一を志向する
民主主義的志向である。
「唯物史観」によれば、歴史は階級闘争の歴史であった、という。これは余りに一
面的に過ぎる。世界の歴史は、諸民族と諸国家の興亡の歴史であり、地球に対する所
有権をめぐる闘争の歴史であった。階級闘争の歴史は、時々現れる過度的な現象に過
ぎなかった。しかし、産業革命は大量の労働者階級を産出することによって、階級闘
争を歴史の主役に押し上げた。諸国民における土地の支配権をめぐる闘争から、生産
手段の支配権をめぐる階級闘争に転化した。従って、労働者階級は本質的に、国際主
義的であり、国境から己を開放しようとする階級である。国有化や公有化は、労働者
階級の勝利のように見えた。しかし、形式的な所有権の移動だけでは、問題は何も解
決しない。労働者階級が労働官僚の奴隷になれば、ブルジョワによる支配より、悲惨
な結果が待ち受けていた。なぜなら、労働官僚は「労働者階級の味方であり、彼らへ
の批判・反逆は、裏切り行為である」という、二重の奴隷制の押し付けを意味してい
たのである。ブルジョワ支配の下では、労働者は抵抗する自由を確保することが出来
たが、「民主集中制」においては、労働者は抵抗する自由さえ奪われた。「セクト主義に対置する民主主義」なしには、この階級の統一は不可能であるし、その意志は実現できない。多元性の否認は独善主義と分裂の知性に転化する。多元性の承認なしに、民主主義もないし、統一も有り得ない。また、科学的な思考も有り得ない。
情報化社会の今日の世界においては、階級闘争が歴史の主役を演じるとは思えない。
今日の世界で必要な知性は、戦争から対話へ、紛争から和解へである。農業革命の時
代は、諸国民・諸民族の戦争によって、発展してきた。19・20世紀の戦争は、階
級間の戦争の性質を帯びた。産業革命時代の戦争は、革命を分娩した。レーニンの
「戦争を内乱へ」と言う宣言は、この時代の戦争の性格を見事に表現している。しか
し、世界が対話によって一つになろうとしている今日の情報化社会では、このレーニ
ンの提起は、変質しつつある。今日のビジネス戦争では、独創性・自立性・個性・公
開性と言った概念が重要な役割を果たしている。内乱は、政治的なスローガンから、
ビジネス上のスローガンになったかのようである。インターネットの世界は、この傾
向を一段と加速している。民主集中制とセクト主義の「砦」に立て篭もる左翼は、急
速に、この時代の内乱から取り残されつつある。「内乱・革命」の概念は、単なる政治権力をめぐる覇権闘争ではなく、政治・文化・経済、つまり全社会的な規模での概念に転化しつつある。ソ連と西側の共産党自身にとっては、己への革命・内乱は死語であり、それを語れば投獄・除名が待ち受けていた。しかし、今日の左翼は、己自身を内乱の中に叩き込まなければ、この時代で生き残る事は出来ない。今日の時代で、最も必要なのは、レーニンを神格化した左翼自身の内乱である。これ無しに、左翼の再生は有り得ない。
スターリン主義者は、レーニンを神格化し、トロツキーを排除することによって、
ロシアの十月革命で実証されたのは、「永続革命」ではなく、「民主集中制」である
として、歴史の偽造を開始した。この「民主集中制」は、彼らの官僚的な特権の神聖
化のために、大いに貢献した。スターリンのセクト主義は、「一国社会主義」によっ
て、全世界の社会主義運動を裏切り、「社会ファシズム論」によって、反革命を勝利
に導いた。ボルシェビキのセクト主義はとんでもない悲劇をもたらした。レーニンは
スターリンとは違って、革命家であったし、革命を裏切ってはいない。レーニンはト
ロツキーを支え、支援した。しかし、彼の「民主集中制論」は、若きトロツキーが指
摘したように、代行主義とセクト主義によって、彼自身の業績を破産させる危険性を孕んでいた。
。
トロツキーはロシア革命を指導しただけでなく、ロシアの内戦を勝利に導いた赤軍
を創設し、指導した。この赤軍は、第二次世界大戦でファシズムを打ち砕いた。更に、
彼はコミンテルンを指導し、全世界の革命家に大きな影響力を与えた。今日では、グ
ラムシや中国革命への影響は、とりわけ明らかである。また、彼はネップとゴスプラ
ンの最初の提案者である。ソ連の計画経済は全世界に大きな影響を与え、西側の経済
政策をも激変させた。ネップは今日の中国の社会主義市場経済にも、大きな影響を与
えていると考えられる。スターリン主義者達は、トロツキーを排斥・敵視したが、そ
れでも、彼ら自身の運動・体制の中では、トロツキーの業績があまりにも大きすぎた
ため、脈々と生き続けてきたのである。トロツキーがこのような歴史的な役割を演じ
る上で、レーニンの支えは甚大な役割を果たした。レーニンなしで、トロツキーの業
績を語ることは出来ない。
しかし、レーニンはスターリンによって、あまりに神格化され、侮辱され過ぎた。
今日の世界で、スターリンによって神格化されたレーニンを擁護することは、レーニ
ンに対する侮辱である。トロツキーは単にレーニンの後継者ではなく、レーニンと並
び、時にはレーニン以上の指導性を発揮した。特に、ロシアの十月革命では、決定的
な指導性を発揮した。革命のボルシェビキを指導したのは、レーニンとトロツキーで
ある。だが、レーニンの「民主集中制論」は、階級の統一性を破壊し、ボルシェビキ
の変質を準備した。従って、スターリンがレーニンの後継者であると言う考えは、間
違ってはいるが、一面の真実はついている、と考えざるを得ない。レーニンを擁護す
るには、トロツキーと同様に、批判的な再評価が不可欠である。トロツキーなしに、
レーニンは革命のボルシェビキを指導することは出来なかった。トロツキーの排除は、
反革命への合図となった。トロツキーの指導性の再評価なしに、レーニンを正当に擁
護する事は不可能である。
革命の裏切り者としてのメンシェビキではなく、革命の同伴者としてのメンシェビ
キの再評価も不可欠である。それなしには、左翼は、分裂とセクト主義を克服する事
は不可能である。メンシェビキへの弾圧は、民主主義の破壊・ボルシェビキの神聖化・
権力の簒奪に転化した。ボルシェビキは己の「セクト主義に対置すべき民主主義」を
破壊する事によって、己のセクト主義を神聖化した。この神聖化はとんでもない歴史
的な悲劇を招き、ソ連自身を解体した。西側における「共産主義」運動でも、セクト
主義は左翼の分裂と衰退の主要な要因になった。ソ連の解体と言う歴史的な現実を左
翼は直視しなくてはならない。この解体を、レーニンやトロツキーより先に予見した、
メンシェビキの先見性を、今日の左翼は再評価しなくてはならない。多様性と多元性
こそが、この階級の特性であり、自由な生命力である。従って、民主主義的志向なし
にこの階級の統一は不可能である。左翼の統一への民主的な志向こそが、この階級を
社会変革に向かって統一させる事が出来る。セクト主義と独善主義は、この統一への
志向を破壊し、己の寄って立つべき民主主義的基盤を解体する。
イザヤ・ペンダサンの「日本人とユダヤ人」によれば、ユダヤ人社会では、「全員
一致の議決は無効である」と言う。2千年にわたるキリストの世界の過酷な弾圧の中
で生き延び、科学者や革命家の世界的巨人を数多く輩出した生命力はこんな所にある
のかも知れない。「和をもって徳となす」日本社会は、こんなユダヤ人社会の対極に
ある。日本人の集団主義的志向は、長所であると同時に弱点ともなっている。スター
リン主義の世界でも、全員一致の議決が原則であった。この全員一致は、無知(鞭)
と反革命の自画自賛であった。討論によって問題を解決するのではなく、忠誠によっ
て問題を解決した。日本社会は、スターリン体制と似たような構造的な欠陥を宿して
いる。時代錯誤な改憲論や靖国問題が起きるのは、この欠陥の表出である。日本共産
党は、こうした日本社会の政治的な後進性を変革する上では、極めて大きな存在意義
を依然として持っている。しかし、この共産党自身が、この構造的欠陥を脱却できな
いでいるのは、日本国民全体の政治生活の悲劇である。日本における政権交代は、日
本社会の政治的な緊張を高め、政治的な民主主義を加速する。政権交代に背を向ける事は、政治的な民主主義の発展に背を向ける事と同じである。共産党は共産党員の利益のためにある党ではないはずである。共産党員が国民の利益のために活動しようとするならば、政権交代のために、民主集中性・セクト主義・独善主義の殻を破り、党員一人一人が己の主人となって、党内外にわたる公開の討論を開始すべきである。これが十月革命の教訓であり、左翼の統一を成し遂げる民主的で科学的な知性である。
2月革命後、アメリカの亡命からペトグラードに帰ったトロツキーは、ロシアの労
働者に向かって、「ロシア革命、それは世界革命の序曲なのだ。」、と宣言した。ス
ターリン主義者による裏切りに遭いながらも、依然として、この十月革命は、世界革
命の前で輝きつづけている。人類の長い歴史から見れば、我々は、いまだに、この世
界革命の嵐の渦の中で、もがき続けている。