7月13日に、テレビのチャンネルを廻していたら、たまたま、NHK教育を見てしまった。そこには、4枚羽の鳥やら、巨大な蜘蛛が登場していた。自然の驚異シリーズなどとは違う。やがて、これが一億年後の地球の未来の姿を想像して描いているものであることが分かった。一億年後には、大陸移動の結果として、オーストラリア大陸が北米大陸に衝突するなど、地殻の大変動の結果、地球の陸地は灼熱の高原と化すらしい。そのころに、生き残れる哺乳類は、げっ歯類のみ、つまりネズミの類が細々と絶滅の時を迎えているという。高等哺乳類は、一億年どころか、今後、数十万年で絶滅するという。
このような話は、科学的根拠があって、実際にそうなったとしても、現在の我々がそう心配することでもない。しかし、この話を聞いて、反射的に思い出したのが、科学的社会主義者にして、物理学の大秀才、日本共産党議長不破哲三氏の未来地球論である。彼は、民主青年同盟東大駒場班が主催する1995年駒場祭講演会で、「学問のこと、社会のこと、日本共産党のこと、そして地球は」と題して講演したが、その中で、つぎのように述べている。
当時は、太陽がしだいに冷却するというのが定説でしたから、エンゲルスも、地球が冷たくなり、人間が熱帯地方に移動するが、やがてそこでも生きられなくなって人類が消滅するといった見通しを書きました。そのうえで、その後の宇宙の発展まで雄大に論じたりしているのは、エンゲルスらしいところです。
そのエンゲルスも、当時の科学の認識からいって、地球の将来はだいたい1000万年ぐらいのつもりでいました。しかし、いまでは研究がすすんで、地球の寿命もケタが違ってきています。太陽系が最後を迎えるまでには、まだ数十億年かかる、という見通しになっています。もちろん、私たちが生きているあいだは、地球が壊れることは絶対にありません(笑い)。こうして、太陽系が数十億年の歴史を、将来に向かって保障されているということは、この地球のうえでまともに生活を営んでゆけば、人間集団自身にとっても、それぐらいの規模で歴史が保障されている、ということです。
私は、この不破氏の話の中に、ある種の言い訳を感じ取ってしまった。数十億年も人類が続くのだから、じっくりと社会主義に移行すればよろしい。エンゲルスはあと1000万年と考えていたので、その後の後継者はことを急いでしまったのだ。そう言っているように思えた。
不破氏が根拠にしているのは、多分、誰かの説であろうが、単に、地球に対するエネルギーの供給源である太陽の寿命が数十億年続くということに過ぎない話なのだ。それがイコール人類の寿命とする科学者がいるとはとても思えない。どうもこれは、不破氏の一知半解で、そう思い込んでしまったと解釈する他はない。
NHK教育の番組は別に、最新の学説を紹介している訳ではない。1995年当時であっても、不破氏が、少し調べれば、あるいは、しんぶん赤旗の科学部のスタッフあたりに、確かめれば、あんな思い込みをする筈もない。
政治家一般、あるいは某宗教団体の会長の科学談義などは、これに似たようなもので、そんなレベルで考えれば、不破氏を責めるのは酷かも知れない。しかし、氏は科学的社会主義者を自認し、多くに知識人党員を有する共産党の議長なのだから、決して、見過ごすことができない。周囲が注意してあげればよいと思うのだが、不破氏の科学に関する話には、このような一方的な思い込み、通俗的な科学番組の受売りなど、とても科学を心得ている人がすることとは思えないことが多すぎる。
不破氏は同じ講演の中で、
また、人間が誕生する前にも地球があった、あったからこそ、その上 で人間が生まれることができたのじゃないか、こう考える人は唯物論 者です。まず「人間ありき」で、人間が地球の存在を意識してはじめ て地球がある、と考えている人は、観念論者です。
と述べている。
しかし、唯物論者は同時に未来に対しても思いを馳せるべきなのだ。後、数十万年で高等哺乳類は絶滅する。人類はもっと早く絶滅するであろう。これは、地球規模の気象・地殻変動のなせる業であるから、どんなに科学技術が進歩していても人類を救うことは出来ない。これがこれまでの科学の帰結なのだ。今後、数十億年にわたって人類が持続可能と説くとなると、不破氏は過去に対しては確かに唯物論者ではあるが、未来に向かっては観念論者なのだと断ぜざるを得ない。仏教の教えでは、弥勒菩薩が釈迦入滅後、56億7000万年後に、一切衆生を救うために下界に降るという。時間スケールの点では、それに勝るとも劣らぬ未来論ではある。