「未来暗黒社会論」ですか、凄いと言うかおっとろしいサークルですね。
私は心配しています、そのサークルが終わった後「うつ」になった人や、「自殺」した人いないかって。
正直サークルの主体が何者なのか判らないので、言いようがないのですが、意図的なある政治性を持ったグループによる、皆さんへの攪乱戦法か、逆にテレビのワイドショーの見過ぎによる皆さんの「自律神経失調症の一変形」かなと思っています。
「ゼツゼツ、ボウボウ、ゼツ、ボウボウ」これは若松孝二監督の映画「17歳は少年は何を見たか」で母親を殺し、自転車で最果てを目指し逃亡する17歳の少年がつぶやく「絶絶、望望、絶、望望」のことです。
大切な母親を何か判らなく殺してしまった少年が、逃避行絶望の中でつぶやくのですが、最果ての地から遠く北海道を望む少年でも、最後には「望望」と希望を口にして、苦しみから逃れようとしているのだと思います。
人間は未来の為に生きています、希望の為に現在を生き抜いています。
決して過去の為に生きるのでも、「暗黒」の最たるものとしての「死」の為に生きているのではありません。
もっと身近なものでもそう言えると思います、我が小泉純一郎さんも希望を語って本人が招いた現実の暗黒は語りません、企業の社長さんも明日の未来と夢を語って、現実の暗黒を社員・従業員に強いて平気です。
死を宣告された末期がんの患者でも、1日でも長い生存と安穏を夢見て、眠りにつきます。
まあ言えば政治とは「未来と希望を語るもの」です、たとえ暗黒が予想されても、それからの脱却が最良の政策となります。
マルクスもエンゲルスも、実際彼らが体験し現場で見た労働者の苦しみから如何に闘えば、労働者がこの苦しみから解放されるかを問い、全人民的な解放の理論と思想を構築しました。
有名な「共産党宣言」はヨーロッパに吹き荒れた1848年のブルジョワ革命の最中書かれたものですが、ハイネの有名な詩「シュレージエンの職工」(1844年の暴動の時)などをその背景としています。
暗い眼に 涙も見せず 機(はた)にすわって、歯を食いしばる
ドイツよ お前の経帷子(経帷子)を織ってやる
三重の呪いヲ織り込んで 織ってやる 織ってやる
ひとつの呪いは 神にやる
寒さと餓えにおののいてすがったのに 頼めど待てど 無慈悲にも
散々からかい なぶりものにしやがった 織ってやる 織ってやる
ひとつの呪いは 金持ちどもの王にやる
俺たちの不幸に目もくれず 残りの銭まで搾り取り
犬ころのように 射ち殺しやがる 織ってやる 織ってやる
ひとつの呪いは 偽りの祖国にやる
はびこるものは汚濁と冒涜ぱかり 花という花は すぐくずれ
腐敗のなかに 蛆がうごめく 織ってやる 織ってやる
竿はとび 機台はうなる 夜も日もやすまず 織りに織る
三重の呪いを織り込んで 織ってやる 織ってやる
不況と厳しい搾取の中で、働く当時の職工たちが神(信仰)にすがり、王様の慈悲にすがり、国にすがっても誰も助けてくれなかった。
そこで仕事で呪いを込めて機を織りながら、やがてストライキへ街頭へ出て行くのです。
正直、今一生懸命働いてもごく一部の人しかいい目には当たらず、年収200万円の労働を強いられる現在の若者達と、そんなに違いはないのです。
しかし当時の労働者は立ち上がった、それがマルクスやエンゲルスをひきつけた、そして「共産党宣言」が発せられたのです。
プロレタリアは、この革命において鉄鎖以外に失うものは何もない。
プロレタリアが獲得すべきは全世界である
万国のプロレタリア、団結せよ!
なんか暗黒の未来ばかり勉強し、慰めあっている皆さんのサークルとはゼンゼン違いますね。
この世の中、私達が主人公なのです、人間がこの世の中で生存していく限りそれは絶対変わりません。
些か死語化しているかも知れませんが「夜の次は、必ず夜明けがある」のです。
暗黒が続く社会なんてある筈がないのにです、誰かに利用されているのですよ、もう一度よく確認して下さい。
若い人に期待しています、私たちには残念ながらそれしかないのです。