いったい、企業は誰のためのものなのだろうか。
株主のものなのか、経営陣のものなのか、従業員のものか、ひろく消費者全体のも
のなのか。
市場経済の下では決して回避して通れない、こうした旧くて新しい問題が今年は新
聞紙面を賑わした。欧米諸国では既に60年以上前に財界だけでなく、経済・経営・商
学系の学界を中心にホットな争点になってきた(あるいはそれを繰り返した)らしい
が、ITが跋扈する21世紀とは単純比較ができないのは当然であろう。
だが、時代がいくら変遷しようとも疎かにされてはならない、変わってはならない
分野があるだろう。企業倫理とかCSR(企業の社会的責任)とかいわれる分野のこと
である。
なお、バブル期に喧伝されたフィランスロピーとかメセナとかは、今回は割愛し、 専ら企業倫理の一端のみに拙稿で言及したいことを、最初にお断りしておく。
[1]既報のとおり、楽天の三木谷社長はTBSに突如、統合案を提案した。―――共 同持株会社による経営統合、魅力あるコンテンツの提供、広告の高付加価値化――― などなどと、煌びやかな誘いフレーズが並んでいた。楽天・三木谷社長は10月13日、 「(敵対的買収ではなく)友好的に話し合いたい」。しかし或るTBS社員(営業マン) 氏は「あれはまるでウチらの報道手法・テレビが時代遅れだと言わんばかりじゃない か!」と憤慨しているのだとか。村上ファンドの村上世彰氏はTBS争奪戦の仕掛人ら しいが、相関図が込み入っているからか、“外野”からはよくわからない。
それにしても、いったい、企業は誰のためのものなのか。“外野席”からの単なる
印象にすぎない事は認識しているものの、やはり拭い切れないものが引っ掛る。
なかでも最も違和感を抱くのは最大の人的資本たる従業員(この場合、TBS社員と
傘下の各社従業員)の雇用確保・労働契約の異同に何ら言及がないことだ。やっぱり、
新興情報産業のトップの方々は買収相手企業を道具ぐらいにしか認識していないのだ
ろうか。本当に一般の従業員を単なるチェスの駒ぐらいにしかみていないのだとした
ら、そうした姿勢は厳しく問われなければならないだろう。
おそらく、過半数の社員は家族を養う身であるだろう。契約カメラマンであると一 記者であるとデスクであると編集局長であるとの別を問わず、家庭に帰ればパパであ り夫である。子どもや妻を抱える社員の「痛み」にイマジネーションが働かないのだ ろうか。年老いた老親を介護する社員だっておられるだろう。親族に身体のご不自由 な方もおられるかもしれない。万が一、彼らを路頭に迷わすハメに追い詰めたとき、 三木谷氏・村上氏らはどのように責任をとるつもりなのだろうか。「一人たりとも皆 さんを路頭に迷わせることはございません」と責任をもって言い切れるのか。
企業買収・合併にあっては人員整理がつきまといがちである。対等合併ならまだし も、比較優位側企業がもう片方、すなわち比較劣位側企業を併合(併呑)するような パワー・バランスにある場合は、劣位側企業は往々にして従業員削減の大ナタを振る わざるを得なくなりがちなのは、経営史的にも否めない。今回のケースの趨勢など、 とてもではないが予測などできはしないものの、大げさではなく、なにか空恐ろしい ものを感じてしまうのはぼくだけだろうか。
今さら言うまでもなく、TBSといえば伝統ある全国ネットワーク報道機関のひとつ
だ。ウンと昔は信頼と親しみをこめて「民放のNHK」と別称されていた時代もあると
いう。一般的な信頼感は1995年ごろまでは強固なものがあったという(ぼくの先輩の
中にも就職志望企業ランキングでトップに挙げていた人までいた)。古めかしい表現
ながら会社(TBS)に対する「愛着心」そのコダワリには強いものがあるだろうと推
測する。従業員(TBS局員)サイドからすれば、雇用は今後も継続保障されるのか否
かが内心、最大の関心事でもあるだろう。
また、長年蓄積し得たノウハウや技術、他社(ひろくは系列子会社など)との信頼
関係、提携協力関係は依然としてゆるがせにできない重要な知的資産であるはずだ。
これは業種を問わないことは言うまでもない。知的所有権(かつては無体財産権と称
した。商標権・意匠権・特許権。他にいわゆるデジタル特許)の厳格な管理や運用は
どこの業種でも扱いを誤まると致命傷になるといわれる。
また、TBS本体に限らず、他社であっても傘下や緩やかな協力関係にある関連諸企
業グループの数はこれまた膨大ではないのか。
出版事業では大手の講談社とも緩やかな協力関係にあるらしい。
いくら時代の流れだとはいえ、唐突な経営統合案の提示に警戒心を募らせるのは、 責任ある社長なら健全なリアクションだと思う。易々と買収ゲームに乗ったばかりに 従業員大量解雇の悲劇に至った先例は、TOBに踊りM&Aにうつつをぬかした某先進国に 豊富にあると思われる。
民意でなく、この場合テレビ局員・関連諸企業(とその扶養家族)をないがしろに
した買収戦略が日本の企業風土・知的良心から果たして許容され得るのか。やっぱり
許容されるべきではないのか。百歩譲って仮にマネーゲームや買収劇に「望ましいあ
りかた」がもしあるとするならば、それは如何なる形態なのか。ボーダーレスで世界
大競争な経済・社会が好ましいとは思えないが、全国民的討論の俎上になぜ載らない
のだろうか。
いずれにせよ、「楽天・村上ファンド VS TBS」問題は「直近未来」の日本の経済
社会を見据えるうえで軽視し得ないファクターを孕むホット・イッシューのひとつで
あることは間違いないかもしれない。重要な礎石になりそうな感なきにしもあらず。
[2]次に、きょうの論点からはややズレるが付記しておきたい。
一部有識者によると、「2011年ごろには地上波デジタル導入のせいで、そのままで
は現有テレビ受像機が使えなくなる」らしい。尤も、新たに「安くはない」だろう接
続機器を買い足せばテレビ本体を買い換えずに済むのかもしれない(??)が、素人
的にみれば、三木谷社長はこれら一連のシナリオ(?)を“追い風”に、今回の超強
気戦略に打って出たのかもしれない(?)。
だが、画質が一層高精度になったところで、更に多様化・階層分化する視聴者の知
的ニーズをとらえ得る番組供給を為し得るか否か。それは盲点になったままだし、まっ
たく不透明ではないのか(個人的には大抵のJ-POPだとか最新映像ランキングだとか
の類いは、あってもなくても一緒でしかない。まして各種ゲーム情報なんか公害以外
の何物でもない)。目まぐるしく新メディアが出る実態には、そろそろ一般消費者が
愛想を尽かしかねないのでは、と読むのは単なる希望的観測(?)なのかもしれない
が、テレビ局には「テレビならでは」の魅力追求のスタンスが在ってしかるべきでは
ないかと思う。
改憲バブルのきな臭さ漂う昨今にあっては、目新しさなどよりも、「新聞ジャーナ
リズムに次ぐ《対・公権力に対する監視機能》《社会の木鐸》」といった原点を再認
識してもらいたい。
TBSに限らず、既存テレビ局には、《ITと組むことによる功罪両面》をもう一度、 厳しく精査してもらいたいものだ。間違っても従来の視聴者サイドを敵に回してほし くない。
周辺をみた限りではあるが、いまや、ITに幻想を抱く層は、実はぼくらの世代でも
意外にそれほど多くはない。年上世代の諸氏には意外かもしれないがぼくらはこうみ
えてもけっこう“冷めて”いるのだ。ケータイやゲーム機を手放す人も増えつつある。
教育界や社会福祉の世界に同級生がいるものの、彼ら彼女らの過半数は殺伐としたIT
社会にウンザリしているのが本音だ。とりわけ、竹中平蔵氏がひところ言った「IT推
進が雇用回復の決め手になる」などという幻想は誰も信じてはいない、少なくともぼ
くの周囲は、だ。
声を大にして言うが、ぼくらの同世代にとっては「景気」回復なんかよりも「雇用」
回復が最優先課題にしてアポリアなのだ。
「ホリエモンVSフジテレビ問題」は他サイトでもさんざん語り尽くされたような感 なきにしもあらずだ(いや、元金融会社員の先輩氏によると「興味本位のニュースシ ョー・レベルばかりだった」との辛辣なお答えだったが。)し、なにしろひところは、 ここんちの小中学生までもがアイドルタレント扱い(!)にしていたぐらいでウンザ リではあった。
あーだこーだ書き連ねているうちに、思い出したことをもうひとつだけ。今年
(2005年)5~6月頃、「新日本株式会社うんぬん・・・」と称する、イクスペンシヴ
な投稿がいくつか散見された時期があったが「さすが前衛エリート投稿者の面目躍如
か?」と少々驚いた記憶がある。畑違い(ぼくは、非マル経出身です。)からか論旨
を理解できなかった(スミマセン)ものの、タイトルから察する限りではどうやらマ
ル経プロパーの投稿者?だったように感じた記憶がある。
ぼく自身は新日本株式会社自体には関心はないものの、現時点におけるこの問題、
すなわち「いったい、企業は誰のためのものなのか」に関するアグレッシヴでアカデ
ミックな見解を、できればお聴きしたい。