社会主義とは、高度に発達した民主主義のうえに花咲くもの、ということを前回お話しました。本当の生産手段の共有化ということは、そういう高度に発達した民主主義社会でないと実現しないからです。 したがって、ロシア革命とかプロレタリア独裁とか、そういう権力闘争のレベルの時代に社会主義という言葉を用いるのは早すぎると思います。
しかるに、旧来の社会主義者と呼ばれた人たちは、それがわからない。そして、社会主義と呼ばれた国々では、権力者達が社会主義という絶対的な看板を使って人民を支配したのです。つまり、社会主義という看板が人民支配の道具になったわけです。
社会主義の熱病に犯された人達(旧来の社会主義者)にとって、それを見抜くは難しかった。
日本でも、共産党は社会主義国が、人口でも面積でも世界の三分の一以上を占めた、といって社会主義の看板の国々を擁護しました。旧ソ連が、東欧やアフガンに軍事侵攻した後でもそういう態度をなかな改めませんでした。
旧社会党は、北朝鮮と仲良くし拉致など北朝鮮がするはずがない、と言ってました。
こういう政党を、国民が信用しなくなったのは当然のことです。革新退潮の原因はここにあるのです。
平和革新勢力の再建には、国民に信頼される正しい世界観・正しい社会主義観を確立することがなによりも大切です。