〔反戦・反ファシズム連合〕さん御意見ありがとうございます。私は、特に社会主義者というわけでもありません。
やすしさんどうも。あなたとは、たぶん論敵になるかもしれませんね。以後よろしくおねがいします。
私のスタンスは、マルクス主義者といっていいと思います。
やすしさんは、社民主義だといっていいでしょうか。
ただの無党派の一市民ですが、昔から社会主義と呼ばれる人々の世界観・社会主義観に疑問をもっておりました。
ほほう。確かに、疑問をもって、掘り下げていくことで、理解に到達することもありますね。私の場合は、憲法に九条規定があるのに自衛隊があるだとか、国民主権なのに天皇が象徴であるだとか、民主主義という建前について疑問がありました。少なくとも、民主主義と国民主権とは、共和制だと思うし、第二次大戦を反省した憲法前文などからも、自衛隊は違憲だと思っていましたね。
やすしさんが、社会主義と伝えきくソ連の疑念があったように、私は日本の政治体制に疑問がありました。それは、建前と実態の乖離というものでしょうね。
やすしさんが情報とえているソ連のイメージは、私もこどものころはもっていましたよ。だって私は共産党関係とは無縁の環境でしたので、とうぜん、ブルジョアマスコミの受け売りを感情として抱いていましたから。
やすしさんのイメージするソ連が社会主義なんだというのは、いささか間違いだということを理解してほしいと思います。
社会主義には、社会民主主義・トロツキズム・スターリニズム・反スタなどさまざまあるわけです。
やすしさんは、社会主義に疑念があるというが、それは具体的にどれをさすのでしょうか?
たとえば、このサイトである人が〔社会主義とは生産手段を労働者階級が握ること〕とおしゃるわけです。私は(労働者階級だけに限定すべきではないと思いますが)労働者階級が生産手段を握ると簡単に言葉では言えても、実際はそう簡単ではないのかと思います。
賃労働と資本の階級社会の廃止ですが、その運営は不可能ではありません。そんなことをいうのであれば、貴族や君主が支配していた封建体制から、ブルジョアジーの支配体制にかわっていったことを説明できなくなりますね。
やすしさんには、労働者への信頼というか確信がないのではありませんか?
もっと掘り下げていえば、資本主義とは賃金奴隷制のひとつなんです。
何せ、労働者は一国でも何百万いや何千万もいるのです。少数の指導者と多数の指導される立場の人がでてくるわけです。
あなたは、議会制における民主制や、組合における選挙など自治的な作用を信頼していないとしかおもわざるをえません。
あなたの主張だと、大統領制度や世襲制度による君主的な体制は、いったいなんなのか?ということを私は主張しなくてはならなくなるし、資本主義は自由主義段階とはことなり、独占企業が支配している体制でしかないということですから、あなたのいう社会主義とは少数者が多数者を指導していることになるではないかという批判と比較にはならないのではないか?とさえ思います。
ぶつけてもとなると、その間に民主的な関係がないと本当の生産手段の共有化にならないと思います。
生産手段の共有化というよりも、賃労働と資本の破棄という過程のなかで、生産手段の私的所有がなくなるということでしょうか。
また、ロシア革命等を社会主義革命と呼ぶのが本当にふさわしか?という疑問の思いをもっております。私の考えは、社会主義とはもっと高度に発達した民主主義社会の上にこそ成立するのではないかという>ものです。
ロシア革命は帝国主義戦争を指導する帝国主義者を打倒して労働者が勝利した社会主義革命です。確かにレーニンが指導したが、労働者や兵士が支持しなかったら、一揆的なものにさえならなかったといえるでしょう。ただし、その後、スターリンによってソ連は反革命の立場にむかっていったと私は見ています。
武力による革命、それがたとえば封建地主体制を崩壊させるとか、ブルジョワ階級から生産手段を奪い取るとか、歴史の民主的発展に寄与するものなら評価できますが、
歴史の民主的発展だとか、なにやら唯物論的な意見というか総括的ですが、革命ってのは、それを必要とする人々がもとめるものであって、歴史を進歩させただとか、そういう学識上のことがらではないと思いますよ。
それを即社会主義革命と呼ぶのは早すぎると思います。それは一種の>権力闘争であり、民主主義革命の範疇に入るのではないかと思います。
あなたの認識するロシア革命の理解がそういうスタンスなのかはしらないが、社会主義そのものの理解がやはり不足されているのだと思います。民主主義革命=社会主義革命だというのは、スターリンの二段階革命理論の亜流だと思います。
マルクスもレーニンもそういうスタンスであろうはいずはないし、民主主義とひとくちにいうが、ブルジョア革命がその建前として使い分けたのであり、当初ブルジョア革命は、ブルジョアジーのための支配であり参政権はプロレタリアにはありませんでした。
プロレタリア側の民主主義が社会主義だというのはいえるかもしれませんし、「勤労者の権利宣言」がソビエト憲法ですから、プロレタリアの民主主義だといえるかもしれない。しかし、それならず社会主義と表現していいのではないでしょうか?
現在の先進資本主義国は、不完全ながらも高度に発達した民主主義を持ち、資本主義を民主主義的に規制することによって、市場経済の崩>壊を防ぎ、一定の社会保障制度をも併せ持っています。いわば社会主義的要素もそなえた資本主義の国と言えるでしょう。
ニューディール体制以降の現代国家は、ソビエト革命への予防から、そういう体制になっていたということでしかありません。
しかし、レーガノミクスやソ連崩壊で、その社会福祉国家路線は破綻しています。
新自由主義反革命といわれるものは、あなたの主張する体制ですらありません。
これらの国々では、民主主義をより進めることによって社会主義により近づいていくでしょう。現在その先頭を行くのは北欧の国々ではないかと思っております。私の考えは、スカンジナビアンに近いと思います。
民主主義をより深めるだの進めるだのいうが、主体はいったい誰でしょうか?
北欧が帝国主義国の代表的な体制だといえるのでしょうか?
北欧もまたソ連と西側にはさまれた地域で成立した体制だということを理解されるべきだし、軍事輸出で保っている体制だということを理解されたほうがいいと思います。
日本やアメリカは新自由主義反革命に舵をきっており、従来の社会保障体制はとりやめていっているものと思われます。