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「科学的社会主義」討論欄

レーニン嫌いとトロキスト批判の同一性を問う

2005/12/01 寄らば大樹の陰 50代 苦闘するフリーター

 かつて日本共産党は反対党派を「トロ」・「トロキスト」として非難罵声を浴びせました(他党派もそれにあわせて代々木とか「民コロ」などと応じましたがー)、これはロシアでスターリンが書記長として絶対権力を掌握し、彼に反対するトロツキーなど「左翼反対派」を批判する時に使用された常套句でした。
 日本共産党は日本で他党派を非難する時、スターリンと同じ言葉を使用したのです。
 日本共産党の人々の中に今も根強くある「反レーニン感情」も同じです、否レーニンとスターリンを同列に見る思考、とりわけ共産主義・マルクス主義を、資本家やその政治局と同じく「全体主義」として捉え、非難する画一的な思考方法も同じです。
 レーニンが発作で倒れて以降の、スターリンによるロシア革命の歪曲と変質、ロシア共産党の粛清をバックにした独裁支配、そしてソ連邦、東欧衛星国、国際機関としてのコミンテルンなどの独裁的体質と支配に対し、また1953年のスターリンの死去以降も、フルシチョフのスターリンの批判的を含む後継者たちの政治理論と真っ向から対決できず、「自主路線・独自路線」と言いながらも、本質的にはそれに追従してきた、己を正当化するための言い逃れ、自己保身でしかありません。
 スターリン主義はフルシチョフのスターリン批判で終わったのでも、東西冷戦の終結によって終わったのでも、ゴルチョフのペレストロイカで終わったのでもありません、日本共産党にはマルクス主義とはとても言えない「スターリン主義」と言う同じ血が今も流れているのです。
 プロレタリア世界革命と言うマルクス主義の根幹を放棄し、党内には官僚主義がはびこり、中央依存の右ならえ体質、他党派を見下し、市民運動や統一戦線と言いながら、あきれるほどに「自己中」に溺れて、周りが殆ど見えない体質は、如何に弁明しようともまさしく「正統派スターリン主義」というしかないのです。

<レーニンの遺書の抜粋>
同志スターリンは、書記長となって以来、その手中に強大な権力を集中しているが、私は彼がその権力を十分な慎重さをもって行使することをいつも心得ているとは信じ難い。他方同志トロッキーは、道路・通信人民委員部の問題に関して中央委員会と争った場合に証明されるように、単に並々ならぬ能力ばかりではなくー個人的にはたしかに彼は現中央委員会中もっとも有能な人物であるーさらにその行き過ぎた自信と・。(1922,12,25)
追記ースターリンは粗暴すぎる。この欠点は我々共産主義者の間では全く我慢出来るが、書記長の職務にあっては我慢ならないものとなっている。それゆえスターリンをその地位から除いて、誰か他の人を任命すべく工夫するよう同志諸君に提案する。その人物はあらゆる点においてスターリンより優れていなければならないーすなわち、もっとも忍耐強く、もっとも忠実で、もっとも礼儀正しい、そして同志に対してもっと親切で気まぐれでない、といったような人物である。             (1923,1,4)

 これらは3度の発作に襲われたレーニンが、「レーニンの最後の闘争」として瀕死の床から発信した、よく知られている過程の文書のごく一部分です、彼はこれ以外にも民族問題なども論じています。
 スターリンに対する批判と警戒感、トロツキーに対する期待を表していると思います、しかしそれにも係わらず大半のロシア共産党員はスターリンに怯えその独裁を許したし、トロッキーは余りにも憶病さで機会を逸したのです。
 スターリンではなく、トロッキーがレーニンの後継者となっていたら、その後のロシア・ソ連の運命も、また全世界の革命と運命も全く別のものとなったと思います。
 確かにレーニンはカリスマでした、彼の権威はロシアの人々を虜にする魅力があった、確かに敵に対しては「鉄の規律」で対抗した、しかし彼の元では自由な論争も争いも許されていた。
 レーニンとスターリンは別ものと考えるべきなのです。