剰余生産物が発生しない低い生産力の時代、狩猟などが主だった時代を原始共産制と呼ぶわけですけど、本当にそう呼ぶのがふさわしいか疑問に思っております。
たとえば猿の場合雄にはボスを筆頭に全員に順位がつけられています。餌も強い順に得ることが出来ます。気候の関係などで食料が少ないとき順位の低い弱い猿は犠牲になります。種族の保存のため常に強い猿が生き延びます。
人間の氏族制社会で男たちが共同で狩をして大きな獲物を手にした時、はじめから獲物のどの部分をだれが得るのか決まっている場合さえあります。まず一番重要な部分は氏族長たる長老に捧げられます。
社会主義者(共産主義者)は階級とは剰余生産物が発生してはじめて生じる、これは階級ではないというでしょう。これこそ固定観念にとらわれていると私は思います。
剰余生産物のない低い生産力しかない段階では、それ以後とは質的に違うその低い段階での階級があるととらえるべきだと、私は思います。
したがって、狩猟時代のように剰余生産物の発生しない低い生産力の時代を原始共産制と呼ぶことに反対です。