満を辞したと言うか、やすしさんの素晴らしい新説に打
ちひしがれています。
「人間は考える葦である」さえ否定するような、動物と人間
の違いを木っ端微塵に砕かれた、やすしさんのご高説には、た
だただ感じ入る次第です。
しかし「サルの地球」が到来しないのは、人間が考える事の
出来る動物であるのに、サルはやはり本能で動く動物としての
サルでしかないからです。
「猿といえど動物は絶対同族は殺さない、殺すのは人間だけ
だ」と言う事を聞いた記憶もありますが、この点はいかがお考
えでしょうか?
エンゲルスが「家族・私有財産・国家の起源」で詳しく述べ
た、モーガンによる北アメリカの様々な家族や種族に対する研
究の成果を、どう捉えられているのでしょうか?
そもそも分け与えようもない少ない収穫物を前にして、家族
として種族として、人間として生き延びるためには、お互いが
助け合い、その収穫物を分け合うしかなかったと思います。
もしその時点で、やすしさんのように「長老に捧げられたら
」その家族や種族には長老を除き、即「死の運命」が待ってい
たでしょう。
たとえそれが「大収穫」であったとしても、生産性の低い社
会では、それを行わなければ、人間は長くは生きていけなかっ
たのです。
そこには長老はいても「私有財産」も「階級」もない社会だ
ったのです。
それが「原始共産制社会」なのです。
(ここで原始社会と氏族社会の混同があります、どうやらや
すしさんは原始社会=氏族社会と思い込まれているように思い
ます)
また「社会主義者(共産主義者)は階級とは余剰生産物が発生
してはじめて生じる、これは階級ではないというでしょう」と
書かれていますが、正直何を書かれているのかよく分かりませ
ん、マスクス主義では原始共産制社会に続く奴隷制ー封建制ー
資本主義そして過渡期としての社会主義社会が続く間は、剰余
価値・生産物を支配階級が独占的に支配したから(労働者には
再生産カツカツのしか与えられない)階級社会と規定したので
あって、その逆ではありません。
生産力が極限的に向上し、社会の主人公としてプロレタリア
ートが権力を把握し、支配階級となり、やがて国家を廃止し、
階級も搾取もなくなる社会、それが共産主義社会です。
共産主義社会とは階級支配の道具としての「余剰生産物」な
どありえない社会なのです。
やすしさんの仰る「剰余生産物のない低い段階」にあるのは
、支配と被支配の関係としての「階級」があるのではなく、精
々家族関係であり、血縁的紐帯の関係だと思います。
正直私も「家族・私有財産・国家の起源」を熟読した訳では
ありませんが、折角先達たち理論に疑問を持つのなら、もう少
し勉強し確固たる理論武装を行って下さい。
何せマルクスやエンゲルスに反旗を翻すと言う世紀の大事業
なのですからー。