1 なぜ社会主義を論じなければならないか
インターネットを通じて、ロシアなど4つの旧社会主義国の人たちと交信し、その後、メールを通じて、90年代初頭の政変について意見を聞きました。私と彼らとの出会いは全くの偶然的なものであって、彼らの共通点は、パソコンを持っていること、多少の英語ができること以外には何もありません。従って、彼らの国情からすれば、これらの条件―パソコン、英語―は彼らがそれぞれの社会の比較的上層に置かれている人たちだ推理する根拠となります。
私は、彼らに「社会主義の崩壊をどう考えるか、あなたがたの社会はよくなったか」について尋ねました。彼らの答は、生活が悪くなったこと、多くの人々の生活が困難になったこととわずかな rich people が形成されたこと、社会主義の方が better であったこと、政変後の社会を歓迎していないこと、について共通していました。ある東欧の人はその社会主義を「物価は安定しており、仕事も住宅もあった。希望すれば誰でも高校へも大学へも行くことができた。老後の生活の心配もなかった。」と表現しています。
東欧の政変が始まった当時でも、闘いに参加する民衆の数が少ないとか、政変のスローガンが民衆を動員することができるものであるかどうかなど疑問な点がありましたが、テレビ、新聞などで報道される範囲では「民衆が立ち上がって」共産党政権が崩壊し、ベルリンの壁が崩壊し、チャウシェスクが処刑され……、と思わざるを得ないものがありました。
その後、10年近い歳月が過ぎました。かつて――遠い昔といってもいいかもしれませんが――社会主義の優位性を説いた「しんぶん赤旗」(「アカハタ」時代を含めて)などを情報源として、私の「社会主義観」――社会主義国の存在とこの社会主義観があったからこそあらゆる苦難を覚悟して communist としての人生を選んだのは私だけではないと思いますが――は長い時間をかけて実生活と学習から形成されたのであって、「ソ連は覇権主義だった」とか「社会主義とは縁もゆかりもなかった」と唐突に言われたからといって、すぐに考え方を改められるほどの「思考の柔軟性」を私は持ち合わせていませんでした。日本共産党がソ連共産党の干渉と長年にわたって闘ってきたことについては承知していましたが、それは党と党の関係の域を出るものではなく、「国」や「社会体制」そのものを否定するような見解はソ連崩壊後の「反社会主義の大合唱」のなかで初めて主張さるようになったことであったし、日本共産党がかつてソ連などの社会主義を評価したことは誤りであったなどという「見解の変更」が行われたということも、ついぞきいたことがありません。ものごとの変更に必要な理論的作業も見解を変更するための手続きが行われることもなく、かつては評価した国々を、「あれは社会主義国ではなかった」などと言える人の「思考の柔軟性こそ」疑ってしまいます。
旧社会主義国の内政、外交において、社会主義の理想からひどくかけ離れたものがあったことは確かでしょうが、そのことをもって旧社会主義国が社会主義とは無縁の社会であり、「世界の進歩をじゃまする『巨悪』――巨大な妨害物」(注1)であったなどと断言する勇気もまた私には持ち合わせがありません。
旧社会主義国は基本的には「物価が安定し、失業もなく、誰でも高校へも大学へも行くことができ、老後の生活の心配もない」という社会でもあったわけですが、このことも含めて、旧社会主義国は何の評価にも値しない社会だったのでしょうか。また、このことも含めて「世界の進歩をじゃまする『巨悪』――巨大な妨害物」であったのでしょうか。ある国を評価するのに、民衆の生活状態は顧慮する必要のない枝葉末節のことなのでしょうか。
これらの社会に「若干の欠陥」という程度ではすまないほど多くのネガティブな面があったとしても、社会の基本的なシステムとしては、やはり資本主義に優るものであったことは否定されるべきではないと思います。その上で社会主義70年の歴史に大胆にメスを入れるべきであろうというのが私の見解です。それは旧社会主義国の擁護を目的とするものではありません。社会主義がおよそ語ることが無意味なほど遠い未来のことであれば、抽象的な表現で語ればいいでしょう。しかし、すでに「共産党宣言」から150年です。現代がまさに「資本主義が、自らつくりだした膨大な生産力をコントロールできず、社会に深刻な矛盾を引き起こす」(注2)時代であることを認めないならば別ですが、そうであれば社会主義は遠い未来のことではないでしょう。現代資本主義の危機的状況を直視すれば、「深刻な矛盾が引き起こされる」時期は極めて近い将来である可能性もあります。従って、社会主義を論じることは他ならぬ資本主義国に生きる民衆にとってこそ必要なのです。ソ連の社会主義は70年の歴史をひとまず閉じましたが、その崩壊の原因は何だったのか、この社会はどこが間違っていたか、評価されるべきはどのような点であり、変えるべきでないものは何かなどについて、究明することは焦眉の課題です。私たちにとって「常識化」していることも含めて検討し、新しい社会主義の理論を形成することなく、新しい社会主義を準備することはできません。
注1「日本共産党は、民間企業に何を期待し、何を約束するか」不破哲三『前衛』1999年2月号
注2「『共産党宣言』150周年国際理論会議 (1998年5月13日~16日、パリ)の論集への寄稿論文 『共産党宣言』150周年 日本共産党中央委員会付属社会科学研究所事務局長 田代忠利
2 社会主義を論じる視点
ソ連の崩壊は社会主義を目指す人々にとって衝撃的なできごとでした。反社会主義の立場からは社会主義などというものは存在できないことの論拠とされ、社会主義を擁護する立場からも「ソ連は社会主義国ではなかった」とするなどの旧社会主義国に対する否定的な見解が目立ちます。
今日の資本主義がその存在をも危うくさせるような危機的状況を露呈しているにもかかわらず、資本主義に変わる社会システムとして社会主義の登場を期待する声をほとんど聞くことができません。社会主義は資本主義のあとにくる社会システムであり、社会構成体としては資本主義よりも進歩したものであると理解していた立場からは、社会主義国が資本主義より先に崩壊するなどということは、想像さえしなかったことでしょうから、社会主義擁護の立場の深い自信喪失が無理からぬものであったかもしれません。もともと社会主義を否定する立場の人々の主張は別にして、「社会主義を目指す」とする人々の中にもソ連を社会主義国ではなかったとする見解があります。これらの批判的見解は、チェコへの武力介入、アフガニスタンへの侵略等に見られる覇権主義的外交、人権抑圧、恐怖政治等の「民主主義」の欠如がその中心的な根拠となっています。このような否定的側面が事実であることと同様に、貧困の解消、安定した生活、平等の実現、労働者階級の生活の向上、女性の地位と権利の向上など、完全なものでなかったことはいうまでもありませんが、これらの明らかに社会進歩とみなされる事実がその積極的な側面として存在していたことも否定されるべきではありません。社会主義を目指すとする立場から行われる「旧ソ連社会批判」では、これらの一見対立する事象が統一的に説明されません。
1917年のロシア革命によって社会主義が誕生したことも歴史の必然であり、20世紀が幕を閉じようとしているときにこの社会体制が崩壊したことも歴史の必然であります。「ソ連崩壊」がどのように準備され、どのように進行していったかについて、物質的根拠を明らかにして史的唯物論の立場から解明されなければなりません。
このさい明確にしておくべき観点を思いつくままにあげてみます。反社会主義の立場から行われる批判の中にもいくつかの真実があるでしょう。批判から学ぶということは大切なことであり、これらの批判をかつて行ったのと同様に「反共攻撃」という一言で片づけてしまわないようにしなくてはなりません。これらの批判を批判的に検討するためにも、観点をはっきりしておく必要があります。
「世界の進歩をじゃまする『巨悪』――巨大な妨害物」としてソ連を片づけてしまえば、70年間の偉大な社会主義の歴史からは何も学ぶことはできません。先にあげたような観点を維持して社会主義を擁護する立場からソ連社会の研究を進める必要があると思います。