山本さんのおっしゃるように、科学的社会主義を系統的に、しかも現代的に学ぶための適切なテキストは、私もみつけることができません。かつて出版されたものはいくつかの点で現代的な有効性をなくしています。おそらく山本さんの希望しているものは、系統的にやさしく書かれたもの、ポピュラライズすることを目的としたものだろうと思います。この種の文献が用意されるためには、学問的なレベルにおいてある程度批判に耐えうる定説となるものが形成されるということが前提条件となります。
マルクス主義の陣営は、その学問的方法において、おそろしく非マルクス主義的でした。個別科学の分野は常に進歩していくものです。マルクス主義―科学的社会主義はその最新の成果を常に吸収してその内容を豊にしていくべきものなのですが、確定されたとする命題、教条を「お経」のように繰り返すばかりでした。たとえば、史的唯物論の時代区分論における「奴隷制」などは、世界史の1つの時代を画するべきカテゴリーとしては、歴史学の分野ではもはや扱われていないというのが実態です。これ以外にも従来の史的唯物論には不十分な点がいろいろとあるようです。これは、マルクスが知り得た歴史はほぼヨーロッパの歴史であったという時代的な制約に起因しているようです。当時のヨーロッパでは、正確なアジアの歴史など知ることが不可能に近かったという事情があります。歴史学の進歩によって明らかにされたものを積極的に取り入れて、史的唯物論を豊にするという作業が必要であったのですが、これまで、マルクス主義の陣営が行ったことは、マルクスの文献をすみからすみまで読みあさることだけでした。これはこれで必要なことでしょうが、こればかりやっている学問を「訓古学」といいます。マルクスとエンゲルスとレーニンのほぼ3人の著作だけを材料として書かれている書物を今でもときおり目にします。長い間、科学的社会主義の陣営はこのような状態でした。
ポピュラライズするための「基礎となる理論」が再構築されなければならないという事情が、山本さんが希望するような書物がみつからない理由だと私は思っています。史的唯物論の再構築がまず第1に行われなければならないでしょう。
第2はソ連の70年の誕生から崩壊までの歴史をどのように評価すべきかという問題です。私が先日投稿した「社会主義を考える(1)」で提起したかったことです。
別の言い方をすれば、いくら共産党の委員長である不破氏が言ったからといって、「ソ連が崩壊したときには、世界の進歩をじゃまする「巨悪」――巨大な妨害物がなくなって晴々とした気持ちだ」というようにソ連崩壊を評価してよいのか、という問題です。かつて不破氏は、「世界の社会主義運動の歴史をみても、科学的社会主義――共産主義の潮流と社会民主主義の潮流とをわける主要な分岐点の一つは、社会主義の権力の問題にあった。前者が一連の国で社会主義権力を樹立し、生産手段の社会化を基礎に社会主義への道に踏みだしたのにたいし、後者は一連の国で政府には参加したが、社会主義権力を確立することも、資本主義から社会主義への社会の転化も実際にすすめることもできなかった。これは今日でも、この二つの潮流を画する分岐点をなしているのである。」(「朝日新聞」1976年6月1日『科学的社会主義研究』(新日本出版社)より引用)。不破氏は「一連の国で…社会主義への道を踏み出した」といっているのです。だから、少なくともソ連にも社会主義として評価することができる側面、時代があったということだと思います。
ソ連の70年の歴史は史的唯物論の立場から解明されていないというのが現状でしょう。
この2つが科学的社会主義のテキストがないというおもな事情ではないかと私は思っています。私も含めて研究者でもない一般の人たちにとってこれらを勉強するということはきわめて難しいことです。体系的な学習書はしばらくは期待できそうにありません。個別に参考文献を読むよりないように思います。そして、その内容が正しいか正しくないかはいろいろな人と討論しながら、最終的には自分の頭で考えるほかないでしょう。ソ連の崩壊については少しずつ研究が始まっているようです。たとえば、「ソ連史概説」(上島武著窓社刊)は、大学での講義要綱をもとにして書かれたもので比較的読みやすいものです。たくさんの書物を探して、読まないといけないかもしれません。
「学問には平坦な大道はありません。そして、学問の険しい坂道をよじのぼる労苦をいとわないものだけに、その明るい頂上にたどりつく見込みがあるのです。」というマルクスのよく知られた言葉があります。この言葉は、フランス語版資本論を定期の分冊で出版するという企画に対して、マルクスが、そうすれば資本論がもっと労働者階級の手に入りやすくなるとして同意した手紙の末尾に書かれています。
PS.吉野さんへ。いまは、ちょっと違うテーマで投稿をしています。レスできずにごめんなさい。ただし、あなたの投稿はいつも楽しみにしており、読ませていただいています。