最初に申し上げておくべきでしたが、この投稿を書くのに、私の力量はふさわしいものではないだろうと自分でも思っています。また、じゅうぶんな時間を費やすことができる環境にもありませんので、「論文」といえるような水準に達するものにはなりません。いわば「感想文」程度のものとして投稿します。私見では、ソ連や東欧の旧社会主義国の崩壊について理論的に解明することは、共産党のあり方、例えば民主集中制と深いかかわりがあります。「さざ波」HPで熱心な論争が行われているテーマを、少し視点を変えてこの面から考えてみるのも1つのアイディアだと思います。問題提起の意味を含めて、一顧だにされないことを覚悟しながら投稿します。
(前回の投稿からの続きです)
3 「ノーメンクラツーラ」…社会主義の崩壊を考えるキーワード
1990年台初頭のソ連、東欧の社会主義の崩壊とその後のこれらの国々の状態を見ると、理解しがたい2つの矛盾した現象がありました。社会主義の崩壊の過程では、かつての社会主義が「人民抑圧」のシステムであり、民主化を求める民衆の運動によって崩壊したかのように報道されました。だから、これらの政変は「民主化」とよばれ、民衆の運動によって共産党の支配が倒れたというように一般的に理解されたものでした。このような政変――中には「革命」とさえ評価した人もいましたが――であれば、当然、かつて権力の座にあった勢力が厳しく断罪され、その政治的影響力は一掃されるはずだと考えるのが一般的な理解だと思います。
しかし、その後、国によって多少の違いはあっても、かつての共産党、労働者党は党名を変更したものの、引き続き政権を担当していることが少なくありません。もちろん、その政治路線は大きく変質しているのですから、かつての共産党、労働者党がそのまま存在していると見ることは妥当ではないではありません。しかし、ロシア共産党などは大統領選挙で30%ほどの得票を獲得しています。この大統領選挙はエリツィン陣営の金にまかしたひどい選挙だったことを考えると、はたしてソ連における社会主義の崩壊が本当に民衆の要求によるものであったかかどうかを疑わせるものでした。旧東ドイツのドイツ社会主義統一党の後身である民主的社会主義党は旧東ドイツ地域で今なお一定の政治勢力としての位置を確保しています。また、民衆の中に社会主義の崩壊を歓迎しない傾向が根強く残っていることも、テレビ等を注意深く見ればすぐにわかります。
旧社会主義国(旧ソ連を中心に考えます)はいろいろな問題をかかえていました。たとえば、経済の低迷もそうでしょうし、社会主義の権力が確立して、およそ国内的に内戦などが起こる可能性がなくなった段階においても、依然として、権力を打ち立てるまでの厳しい内戦の時代と大差ない統治システムを続け、社会主義的民主主義の開花とはほど遠い状態でした。政治システムとしてはプロレタリアートのディクタツーラは共産党の専制的な1党支配へと収斂していきました。
プロレタリアートのディクタツーラなくして、社会主義の権力を打ち立てることは不可能であるというのがマルクス主義の神髄ですが、プロレタリアートのディクタツーラは、権力を打ち立てるまでのものと権力が一定の安定を確保した段階とでは、その存在様式が同じものであってよいはずはありません。また、プロレタリアートのディクタツーラは「共産党の専制的な1党支配」と同義語であるはずもありません。
ロシア革命で、2月革命から10月革命へと発展していくときにボリシェビキが掲げたスローガンは「すべての権力をソビエトへ」でした。武装した労働者、兵士によって構成されるソビエトが全権力を掌握したからこそ、その後の、帝国主義列強の干渉と困難極まりない内戦をのりこえて、社会主義への一歩を踏み出すことができたのです。このときの権力の主体はあくまでもソビエトであって、ボリシェビキはその一構成部分でしかなかったということです。したがって、ロシア革命の初期には、間違いなく権力は「労働者、兵士、農民を中心とする民衆の掌中にあった」ということができます。
共産党を軸とする国家機構が完成し、いつの間にかソビエトは形骸化してしまい、ソ連においてはもはや権力は労働者、兵士、農民を中心とする民衆の掌中から失せてしまっていたといえます。
誤解をおそれず、ごく大まかに結論的な表現をすれば、旧社会主義国は、「多くの民衆の生活という面からすれば明らかに積極的な面があったが、その権力はすでに民衆のものではなくなっていた。プロレタリアートのディクタツーラは消滅していたといってもいいほどに変質していた」という仮説を私は立てています。
では、権力はいったい誰の掌中にあったかという問題になります。ノーメンクラツーラという言葉があります。語源的には「特権的地位を与えられる人々の名簿」という程度の意味だとのことですが、実際は「特権階級」と理解してさしつかえありません。具体的には、共産党、政府、企業などの幹部をさしています。
現存する社会主義国も、多かれ少なかれ旧社会主義国と同じ道を歩んでいますから、その中(ベトナム解放闘争の幹部であったチャン・ド将軍の書簡)から端的にノーメンクラツーラを指摘したものを紹介します。
革命闘争期には、共産主義者は人民と一体であった。共産主義者は闘争を導き、人民は彼らを支えた。しかし、民族解放と祖国統一が達成され、共産主義者が権力を掌握してからは、党は人民から離れ、人民を支配するようになった。党員は国家機関の高い職位について特権を享受し、党はもはや人民と一体ではなくなった。(注1)
ベトナムの統一からわずか20年余の間にこのような変化が生まれています。革命後のソ連の歴史を大まかに眺めてみても、かなり早い時期からこの傾向が生じていることがわかります。
ノーメンクラツーラは、「社会主義の理想を掲げることなくして誕生し存在することができない」という寄生的性格の強い階級であり、「権力を手にすることによって富と名誉を現実のものとする」階級であったといえるでしょう。その意味で特殊な制約を持った階級だと思います。ただし、ノーメンクラツーラと共産党を同義語として扱うことには慎重にならざるを得ません。
旧ソ連の外交政策などで、労働者階級の利益とは無縁のもの、たとえば、スターリンによる領土拡張主義的な外交、ブレジネフによるアフガニスタン侵攻など大国主義的外交政策はレーニンのそれ(たとえば「ロシア諸民族の権利の宣言」1917年)とは異質なものがありました。これらはむしろノーメンクラツーラの階級的な利益から出発していると考えると説得力があるように思います。
プロレタリアートのディクタツーラを共産党の1党支配に収斂して、特権的地位を確保する集団―ノーメンクラツーラが形成されたことによって、真のプロレタリアートのディクタツーラは変質し、労働者階級を初めとする人民が権力から切り離されてしまっていたというのが、ソ連崩壊の前夜だったとする見方が成り立つと思います。
旧社会主義国の労働者が働かないとか、労働規律がだらしないとかいう批判をよく聞きました。しかし、第二次世界大戦のさなかには、ラーゲリにおいてさえも祖国の勝利と社会主義の勝利を願って、(奴隷労働とは異質な)「自発的な労働」があった(注2)ことからしても、これらの否定的な現象が社会主義国に不可避的な現象であったわけではありません。「社会主義のために」とか「生活の向上のために」とか「帝国主義との闘いのために」とかというノーメンクラツーラのうわべだけのスローガンがいつまでも民衆を欺き続けられるはずがないというべきでしょう。民衆はノーメンクラツーラの特権的な実態を身近に見ているわけですから、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という社会主義的な精神が高揚するはずもなく、資本主義国のような競争原理も作用しない国で、労働者が一生懸命に働かなくなるのはそれほど不思議なことではありません。
社会主義の崩壊に際しても、権力から切り離された労働者階級や人民がほとんどまともにこれを防衛する行動に立ち上がらなかったことはむしろ当然のことであったというべきかもしれません。
さらに、こうしてノーメンクラツーラの支配が行き詰まったとき、彼らにとってもはや「社会主義の看板」は意味のあるものではなくなり、これ(すなわち「共産党」)を投げ捨てて自らの固有の階級的な利益を追求し始めたというのがソ連の崩壊であったと見ることはできないでしょうか。この点では、ゴルバチョフもエリツィンも同質です。
もちろん、いかに腐敗堕落していたとはいえ、旧社会主義国の党も共産党ですからその中には真に労働者階級と人民の利益を代表する部分が存在したことは確かでしょう。しかしながら、これらの部分が支配的な勢力になることはできなかった、ということでしょう。ノーメンクラツーラと共産党を同義語として扱うことに慎重にならざるを得ないことの理由は、それでも共産党が社会主義の理想を掲げており、一定の民衆を内包し、その利益をある程度は代表しているからです。
旧社会主義国の崩壊は、プロレタリアートのディクタツーラのゆえにもたらされたものではなく、プロレタリアートのディクタツーラが消滅したことによって用意されたというべきだと考えています。
また、帝国主義諸国の対社会主義政策は、伝統的な「封じ込め政策」から、敵対的な戦略的立場を維持しながらも、特にゴルバチョフの登場以降は「太陽政策」へと転換していったと私は分析しているのですが、旧社会主義国の崩壊にはこの「太陽政策」を基本とする帝国主義の策動が背景にあったことを抜きにしては考えられません。
ノーメンクラツーラと同質の位置にいる人には、おそらく私の見解は理解されることはないと思いますが(なぜなら自らを否定しなければならなくなるからです)、何としても世の中を変えなければならないという立場に立つ人に考えてもらいたくて、まだものを書ける段階ではないにもかかわらず、投稿した次第です。さざ波読者のみなさんの批判的なご検討を期待します。
(注1)チャン・ド将軍の書簡「人生を振り返って」雑誌『世界』岩波書店1999年7月号「ベトナム革命元老が改革を訴える」より
(注2)たとえば、寺島儀蔵「長い旅の記憶―わがラーゲリの20年」日本経済新聞社